Japanease northan alps

吃音は治っていく

吃音を治すための心構えと考え方


  1. はじめに.
  2. 1900年代の有名な吃音者で吃音臨床研究家であるバン ライパーが、20年あまりも吃音を治すための臨床研究をかさねましたが、自分の吃音はもとより1000人程度の大人の吃音者も吃音が治らなかったことから、吃音を持っていても社会でハンディをおわないために、 「吃音は治らないので”楽に優しく吃る方法”」 を提唱しました。この影響が大きいためか、現在でもこのような考え方を主流として吃音対策が行われていることも多いようです。吃音を治したくて相談したのに、治らないことを前提にして「やさしく吃る方法」を教えている。これは大きな問題です。

     しかし現実を直視すれば、吃音が治っている人もいないわけではありません。幼児期には70%近い人が治ったという研究もあります。このような事実を受けて、この日本吃音研究所(Chi Nation Laboratry in Japanチネラボ)では、1960年代後半の「大人になって完全に確実に治った事実」をもとにして,また,「幼児の吃音発症と完治の非常に多くの事実」,「数千人を超える吃音者からの情報」をもとにして,1998年以来,「吃音は幼児期を含んだ心の病気」と明らかにしてきました.最近ではまだ言葉の病気ということから離れられない問題も含まれていますが,ようやく「心の病気」方向に舵が切られてきているように感じています.20年以上の歳月が必要だったようです.

    ご協力いただいた多くの吃音者の情報により,吃音の発症過程,治り方過程もますます明らかに確実になってきました.吃音から脱出する人も増えてきています。

    なお,本サイトは20年を超える時間の経過とともに膨大な量になってしまいましたので,わかりやすくするため,開設15年後頃に「HK吃音理論」としてその真髄をまとめました.手っ取り早く「吃音の真実」を知りたい方は,左の目次ページから行ける”総論まとめ → HK吃音理論”からお読みください.読みやすいように完治例もまとめてあります.

  3. 吃音は治っていきます.
  4.  吃音者は誰しもはずかしい思いをし,自分だけが吃音者だと思って孤独を感じ,そ れ故友達がなかなかできず孤独にさいなまれ,日常生活に不便をきたし,音読がある 故に学校が悪魔のようであり,学校なんてなくなってしまった方がよいと思っている 人も多いのではないでしょうか.自殺を考えた人も少なくないでしょうし,また,吃 音を治したくて,吃音さえ治れば,吃音さえ治ればとおもって毎日を苦しみながら過 ごしているのではないでしょうか.毎日毎日,「この言葉を言うことができるのだろ うか」,「言いにくそうな言葉をどれで置き換えようとか」,そういうことで1日の 多くの時間をというよりも,ほとんどすべての時間を過ごしている人も多いのではないでしょうか.

    安心して下さい.吃音は治っていきます!!


    しかも年齢に関係なく.治っていきますが,病院へ行って薬をもらって1週間も寝ていれば治るという性格のもの ではありません.1週間特殊な訓練をすれば治るというものでもありません.一般に言う「血のにじむような努力」をしても治るものでもありません.ましてや,人に努力を強制されて治ることなど皆無でしょう.

    吃音は克服するものではなく,吃音の方から去っていくものなのです.

     「吃音は治る病気である」ことは確実ですが,吃音はその人の成長過程(特に幼児期の)や人の精神状態や心の状態が大きく関係している病気であると考えられます.それだけに,自分の心のコントロールや人生に対する考え方が大きく関係し,治るまでには一般的にいって長い期間が必要です(大人の場合ですが).その間,吃音と仲良くつきあいながら人生を過ごして行く必要があります.もし,吃音の名医がいるとして も,その医者につきっきりで何年もの間見てもらうことは不可能でしょう.それだけに,吃音を治すには吃音者自身の役割が大変大きなものになります.

    吃音は歳をとればとるほど治らないといわれてきましたが,70歳近くになって治った例も出てきました.本サイトの言っていることがそのまま実現されていました.「私の吃音克服人生」の「70歳,吃音卒業」を読まれれば吃音の原因や治り方がよくわかります.吃音はその原因さえ取りのぞくことができれば,年齢に関係なく治る病気なのです.


  5. 自分流の治し方を発明しよう
  6.  吃音は,人生のすべてをきめるほど大きな影響を与えます。しかし、治ってから振り返ってみると 決してマイナス面だけではありません。話すのが普通の人よりうまくなったり, 吃音の経験が話すことにプラスに作用もします.
     治ったあとには,ごく普通の人のように、ある時は人生に苦しみ、ある時は絶望感に打ちひしがれ、またあるときは充実感を感じ、他の人と同じような波瀾万丈な人生があります.普通の人として生きるのもなかなか大変なものだと思います.もしかしたらこの大変さが原因で吃音が結果なのかも知れません。

     以下に吃音の原因とその治し方について,Chi Nation Laboratry(チネラボ)のHero(ヒロ)を中心に,客観的に科学的に洞察しまとめたものです.チネラボは客観的,科学的であり,いろんなしがらみにとらわれない研究所であるため,完全に独立なボランティア組織です.

     治し方を考える上での基礎となるように,吃音の原因や吃音になっていく過程などを分析し考察してあります.特に,「幼児の吃Q&A」の体験記を読むと,吃音の大きな原因がわかりますし,本ホームページの内容に納得いくはずです.大人の「吃音が治っていく」が数週間の早送りのように1000例近く展開されています.なぜなら、吃音という病気は、大人子供に関わらず全く同じだからです。

    本HPではこれらの原理にしたがった吃音の治し方の具体例を上げていますが、それそれの状況に応じてもっと適した方法があると思います。これを参考になさって自分なりの吃音の治し方をあみ出して下さい.


     一つだけ心にとどめておくことがあります.吃音者は吃音発症原理故に、または吃音故に、自分が劣っている,才能がないなどど考えがちです.そして自信を失いがちです.しかし,実は逆なのです.吃音者には才能に恵まれた人が少なくありません.頭の良いひとも多いのです.総合的には上位1/2から1/3以上に入っている人がほとんどだと思います.上位0.01%〜10%に入る人も少なくありません.そしてまたまた不思議なことに容姿端麗な人も多いようです.
     この優秀さ故に吃音になるとも考えられます.「もっと優秀でありたい」とちょっとあつかましいのです.吃音は「優秀者病」なのかもしれません.
    優秀でない人には全く無縁の世界かも知れません。 この優秀さとあつかましさが自信をなくさせている場合が多いのです.




  7. 吃音とは?
  8.  吃音とは何か?ということが正しく一般常識にさえなっていません.吃音者でさえ吃音の苦しみにばかり意識が行って,吃音の本質を把握してない傾向もあります.そのためここで吃音の定義をしておきます.

     吃音とは基本的に「人前で,1人で何かを言うときに,人に対して言葉が出ない」ことです.すべての言葉が出ないのではなく,特定の単語が特定な時,特定の場所,特定な人に対して出ないことです.言おうとしてもどうしてもその単語をいうことができないのです.つまり"つまる"のです.
    人前でどうしてもでなかった単語や言葉も,周囲に人がいなければスラスラ言えます.また,1人ではなく皆で一緒に同じことをいうときも吃ることはありません.驚いたことに,吃音者はペラペラしゃべれる人なのです.「周囲に人がいなければ」の話ですが.これが吃音の特色です.

     たとえば,「学校」という単語を言おうとします.すると突然,いやな気持ちが持ち上がってきてそれが言えないのです.言おうとすればするほど言えないのです.一般にはこのような現象は会話中に起こります.会話中ですから言わなくては変に思われますので無理して一生懸命言おうとします.無理して無理して無理して言おうとして出た言葉が「......がっこう」となったり,「ががががっこう」という風に最初の発音を繰り返した言葉になるのです.無理して無理して言おうとしますから,そのとき顔をゆがめたり,手足をばたばたさせたり,いろいろな動作(随伴運動と呼ばれます)が加わることもあります.

     一般に吃りの特徴とされている「ががががっこう」など”どもる”は,言えない言葉を言おうととした結果の現象にすぎないのです.もっと言うと,「言えない言葉」も結果で,言葉を出そうとするとき湧き上がる「いやな気持」が吃音の本質です.単なる結果である現象が,吃音の本質と考えられていることに問題があります.

     このとき発語器官やその周辺部の筋肉が緊張したり痙攣したりするので,筋肉の緊張や痙攣によって吃るという人もいますが,実はそれは逆なのです.吃るから,言葉が出ないから,筋肉が緊張するのです.心に浮かぶいやな気持ちがこの現象をもたらすのです.筋肉の緊張は結果なのです.それなのに「筋肉が緊張するからどもるのだ」という信じられない節がとなえられたりしして混乱をもたらしてきました.ただし,吃音が長引くと吃音と筋肉の緊張が結びついてしまいます.原因と結果が一体のものとなって,原因が結果となったり結果が原因となったようにみえるようになります.

    常に「ががががっこう」となるのではなく,スムーズに「がっこう」と言えたり,数秒,十数秒の後突然いやな気持ちが消えて「学校」といえる場合もあります.

     研究のイロハは観察ですから吃音研究者は吃音者の観察から,結果にすぎない”現象”や緊張などの”結果”に吃音の原因を求めようとする傾向がありました.だから吃音の本質に迫ることが出来なかったのです.

     単語がでない吃音を難発性吃音と呼び,単語の部分(特に最初の部分)を連続して発音する吃音を連発性吃音といっています.難発性は思春期以降に表れることも多く,少し本人の意識や感情が入っている傾向がありますが,基本的には現れ方の違いからくる分類であまり大きな意味はありません.

     また,朗読でこのような現象が起こると,その人は漢字が読めないに違いないとか,読む行がわからなくなったと勘違いして周囲の人がそっと教えたりします.吃音者以外には言葉がだせない現象があるなんて想像もできないからです.でも本人は漢字の読み方も読むべき行もよくわかっており,出ない単語を発声しようとして一生懸命なのです.結果として朗読が下手に聞こえますから,先生が「もっと練習してきなさい!」といったりします.とんでもありません.練習に練習を重ね,涙ぐましい努力をしたうえでの朗読がその結果なのです.しかも練習中はスラスラ言えているのです.

     基本的には,難発が吃音でその結果として連発が出ます.このとき(それ以前からも)吃音者は非常に強いストレスや恐怖を感じており心に深い深い傷をおっていきます.言葉が出ないことよりこの時の心の負担が大きな問題なのかも知れません.

     もっと正確に言うと,

    「言葉のでない前に,人々や人々がいる環境に対するストレスや恐怖心があって,それが発声のときいやな気持ちを引き起こし,その結果として言おうとしても言葉を発することができず,それによりまたストレスや恐怖や恥ずかしさを感じて,落ち込んだり劣等感を感じたり,自己否定をしていく」

    ということです.この恐怖やストレスは,意識として感じられるものも少しはあるけれども,そのほとんどは無意識に感じ取っているものです.特に後者,すなわち,心のかなり深いところにある無意識層が大きな影響を与えています.このような無意識層の形成は主に幼児期になされていることがわかってきました(「幼児の吃音」参照)。落ち込み、劣等感、自己否定などの基本もこの時期に入り込んでいます。意識できたり感じたりできる恐怖やストレスは吃音発症の結果に過ぎないことが多いのです.これが吃音を治しにくくしている大きな原因の一つです.



     吃音者によっては,難発を表面化させない人,またはうまく隠せる人も多く,この場合,周囲の人は吃音に気がつきません.言いにくい言葉を言いやすい言葉でいいかえる方法もよく使われます.この場合,普通に話している,つまりながらとつとつと話している,または,考えながら話していると周囲の人は感じます.また,難発で数秒言葉が空いても一般的には周囲の人は何も感じません(ただし本人は恐怖やストレスを感じ大きく傷ついています).

     このような隠れ吃音者は結構多く,特に女性にこの傾向があるようです.吃音者は男性の方が多いとなっていますが,このような吃音者も含めたらもしかしたら同じ割合,または女性の方が多いのかもしれません(どうもちょっとだけ男性の方が多い傾向があるようです.男の子の育児が難しいことがおそらく関係しているのでしょう).
    周囲が吃音に気がつかないがゆえに,逆にそれを隠さなければならず,それが吃音者の心をますます苦しめます.吃音者自身も他の吃音者に気づかない故に,吃音になったのは世界中でただ一人だけだと思って,その孤独感がますます吃音者を苦しめます.

     典型的な言いにくい言葉の代表は自分の名前や会社名,挨拶,「ありがとう」,「もしもし」など,言わなければならない言葉です.常について回ることばですし言い換えもできません.言わなければならない言葉で言い換えができないことがわかればますます言えなくなります.そしてその言いにくい言葉をきっかけにして「ア行」がダメ,「マ行」がダメとレパートリーを増やしていきます.

     これほど発声に苦労する単語も,場所が変わったり,時間が変わったり,一人になったり,相手が変わったりすると,何の問題もなく言えるのですから実に不思議です.
     たとえば「国語の時間の本読み」で「学校」という単語が何回かでてきたとします.この場合1回目は吃ったのに2回目の学校はさらりと読めて,3回目はなかなか発声できなかった,ということが起こりうるのです.また,家で本を読む練習をしているとき,周囲に人が居ないときには問題なく学校といえます.

    一般的に家での練習や一人で居るときには吃る言葉などないのです(注).また,数人で「学校」というときや,団体での本読みや唱和では絶対吃ることなどないのです.

    すなわち,吃る言葉は
    「一人で人に伝える言葉」
    「人に伝える言葉でない独り言や歌、お経」
    などでは吃ることはないのです.当然複数人で朗読したり,複数人で宣言する場合などには吃りません.


    すなわち,吃音者は
     「吃音モード」と
    非吃音モード」もしくは正常モード
    をもっています.一般的に周囲に人がいると「吃音モード」にはいり吃ります.人がいないと「正常モード」にはいり吃ることがありません.この両モードを持っているのが吃音者なのです.そしてモード切替は原則,周囲に人がいるかどうかによっておこります.

    吃音は言葉の症状として表れますが,その本質は言葉の病気ではなく, 対・人(たいひと)に関係する”幼児期の心の問題”を含んだ病気なのです

     苦手な人や初めての人には吃るが,親しい人では吃らない.又はその逆に,初めての人には吃らないが親しい人や親しくなるに従って吃ったりします.これが吃音の吃音たるゆえんです.
     このへんが一般の人には理解されていないようです.吃音者は,場所や,時間や,そのときの状況や,相手や,心の持ち方によって,同じ言葉が言えたり言えなかったりすることが.吃音者は周囲に人がいなければ雄弁でペラペラ喋ることを.専門家でさえ「吃音者は周りに人がいなければペラペラしゃべれる」ことを知らない人が多くいます.

     中には連発だけという人もおります.が,この場合は本人がそれほど気にしないことが多いので比較的問題が少ない場合が多いようです.

    (注) 「一人ではどもらない」といわれているから,「試してみたら吃った」という人もいます.「一人ではどもらない」を意識するだけで吃る人もいるのです.例外的に1人でいるときも少数ですが吃る人もいますが,「一人ではどもらない」といいきって良いほどの確率です.吃音とは実に不思議です. 「一人ではどもる」からといって,必ずしもそれが重度の吃音者であることを意味しません.

    吃音のほとんど(70%以上)は,
    ある心の体質(ごく一般的にある資質です.ここでは便宜上吃音資質,吃音体質と表現します)を持って生まれた人に,言葉がようやく話せるようになった次の成長期(2歳前半が中心で第一反抗期と呼ばれている時期の一部)に,不適切な成長環境(「自分が受け入れていない」,「自分が否定されている」,「味方がいなくて孤独だ」,「恐怖」などを感じる環境)の影響で発症します.

    ここで発症しなかった人もこの時期に吃音になる原因を抱え込み,思春期(第二反抗期)などの精神的に負荷がかかるときに吃音を発症することがほとんどのようです.吃音はこのように人間の内面の成長,心の成長に深く関係した病気なのです.喘息体質の人が家庭環境によって喘息を発症するのに似ていますが,喘息は人間の内面には関係しないので,吃音は喘息よりはやっかいな病気です.

    一般にストレスの蓄積はいろんな症状として出現します.
    胃痛,下痢,弱視,難聴,腰痛,免疫不全,鬱病,........幼児の時のストレスがたまたま言葉の問題として出た人が吃音者なのです.こういう意味でストレスの蓄積が言葉に出やすい資質を持った人が吃音者になるのです.

    ゴルフでプロがなるイップスという病気があります.身体的に問題ないのに突然クラブがふれなくなる病気です.子供でもできる簡単な「ボールを打つ」という動作を,プロ中のプロがどうしてもできなくなるのです.勝負がかかった一打一打の緊張感(ストレス)の蓄積(トラウマ)がイップスの原因だといわれています.これなどは心の影響が体に出ることが理解できるわかりやすい例です.「ボールを打ちたいけどどうしても打てない」,「しゃべりたいけどどうしてもしゃべれない」.吃音と全く同じ現象です.ドライバーを振れなくなるイップスをドライバーイップスと言いますので,これにならって,「吃音は言葉イップス」であると言えば「吃音が何者であるのか?」がよくわかると思います.こういう心と体の関係を人間は抱えているのです.

    吃音の研究は吃音になってしまった人を中心に行われています.一番重要なことは,
    • 何が原因で吃音になるのか?,
    • なぜ人がいるとモードが切り替わるのか?,
    • なぜ吃音が治ったのか?
    を追求することのはずなのに.
    このサイトはここを追求してできあがったものです.それにより吃音の本質が明らかになりましたし多くの吃音者が治っています.




  9. 重要な心構え
  10. 吃音を治すために非常に重要なことがあります.それは,

    プラス思考で人生を「積極的に生きること」

    です.
    しっかりした自分を持って,しっかり生きることも大切です.自信を持つことも重要です.自信は言葉を話すことに対してではありません.何でもいいのですが自分の何かに自信を持つことです.


    「プラス思考に「芋煮さん」の意見を参照してください」


    このことは吃音に対してだけプラス思考すべきだと言っているだけではありません.むしろそれ以外のほうが大切です. また,「プラス思考をしなければならない」ということを意味しているわけではありません. 「...ねばならない」,「...ねばならない」を廃止して,心を解放しようという意味も含んでいます. 吃音者はまじめですから,もしかしたら,知らない間に「プラス思考をしなければならない」と思いこんでるかもしれないからです. 心が解放されればいろいろな思考方法を取り込むことができます.
    無理してプラス思考をする必要はありません.自然体でいてチャンスがあればすればよいのです.すべてにたいしてこういう気軽さも必要なのです.

     

    吃音のことをさておいて

    (吃音のことを考の外において)

    (このことが非常に重要です)


      ・どうすればしっかりした自分をもてるのか?
      ・どうすればしっかり生きられるのか?
      ・どうすれば自分が自分に満足できるのか?
      ・どうすれば自信を持つことができるのか?
      ・どうすれば安定した精神状態を保つことができるのか?
    を考える必要があります.

    考えているだけでは限界があります.そのためには

    「まず一歩を踏み出す」

    ことです.

    ちょっとした(ではないかな?)勇気が必要ですが.

     一歩を踏み出すといろんなことを経験します.体験したことは現実であり事実です.頭で考えているだけではわからなかったこと,確信が持てなかったことが明らかになります.そこから,それをベースにしていろいろな進展が始まるのです.これらの体験を元にいろいろ考えることもできるのです.安定した大地(経験した事実)に立ってそこから出発できます.一歩踏み出すとは,何でも良いのですが実際に始めることです.言葉を話すことに一歩という意味ではありません.

     吃音は,不安や恐怖で一歩踏み出せなかったがゆえに,不安や恐怖を増幅してしまってなっている可能性もあります.だから小さな一歩でも良いのですが,ともかく,何にでもいいのですが一歩踏み出すことが大切なのです.一歩踏み出せば,不安や恐怖が事実か事実でなかったことがわかるのです.すなわち,吃音を治す場は人間がいる場所であり社会なのです.

    一歩踏み出すといやなことも経験します.特に吃音者は.しかし,このいやなことから来るストレスはできる限り早く解消することです.絶対引きずらないことです.吃って「俺はダメだ」といったような自己否定を絶対にしないことです.それより,一歩踏み出した自分をほめるべきです.自己肯定感が体にしみこむことが吃音を治すのに一番大事なことです.

    希望を持って生きること


    これは非常に大切です. 人生に希望が見つかるとわくわくします.生き生きします.積極的になります.希望を持てることは人によって全部違います.それぞれがそれぞれにあった希望を持つことが大切です.吃音者は吃音故希望について忘れがちです.吃音はいずれ治っていきます.ですから吃音をさておいて希望を持つこと,これが非常に大切です.

    希望を持つものが見つからないときどうするか?
    そのときはやはり一歩踏み出すことです.そうすると「希望」が見つかるのです.


    もう一つ大事なこと、それは

    現在の自分を認めること、ありのままの自分を認めること

    です。

    劣っているのにそれを認めないと、それは「劣等感」となって心を苦しめます。「劣等」はほとんど問題になりません。劣等であるのに劣等でなくありたい、劣等であることを知られたくないという心理が劣等感を生みます。「劣等」ではなく「劣等感」が心を苦しめるのです。「いいところ」、「わるいところ」を持っている自分をそのまま認めれば、自分のすばらしさがわかります。それでなくても、吃音に悩む人は実力の持ち主なのですから。「いいところ」、「わるいところ」両方を持っているのが”正常な”人間なのですから。いいところだけ持った人間でありたいと思いすぎるのは、ちょっとあつかましすぎるのです。
    それに,もし劣等であることを認めれば,それを劣等でなくするための行動もとれます.認めなければ,「劣等感」に苦しむのみで前へは進めません.

    実際は劣等でないことが多いのにそれに「劣等感」をおぼえていることがほとんどなのです.それなのにそれを見るのが怖いのです.

     本当に現在の自分をありのままみることができれば,他人とあまり変わらない自分や,自分のすごさ,幸せさも見えてくるはずです.


  11. 吃音を忘れる
  12.  吃音者はどうしても社会に対して消極的になります.吃音の苦しみと吃音を治したいことに頭がいっぱいで,他のことを考える余裕がなくなりがちです.へたをすると,うまく行かないことの多くを吃音のせいにしてしまう可能性もあります.
    「吃音さえなかったらあれもできるこれもできる。」、「吃音さえなかったら、私の人生は変わっていた。」と考えがちです。これでは吃音は治りません。治ったら困るのです.治ったら困るから吃音マジックがはりめぐらされていて,それに見事にかかっているからです。

     そうではなくて,本コーナで「吃音はかならず治る」こと,「吃音の治し方の基本」が身についたら"さっさと吃音を忘れて(吃音のことをさておいて,吃音のことを離れて)",非吃音者と同じように,またはそれ以上に,自分の特長を生かして積極的に生きることです.興味のあること,好きなこと,スポーツマンとして,技術者として,歌手として,物書きとして,経営者として,商売人として,冒険家として,...何でもいいのですが,その人その人にあった方法でやりたいことに挑戦することです.もちろんその人が置かれた立場で挑戦するしかないことは,人間誰にでも課された本質です.これが吃音に良い方向に作用するばかりでなく,その人の人生を意義深いものにするはずです.

    「さっさと吃音を忘れて」と同じようなことを,吃音を克服されたKさんも次のように言っています. (SS先生との思いで参照)

    「治す目的での治す努力」ではなく、「治す目的を離れた(忘れた)治す努力」とでも言いましょうか。 ここのところは、結構キーポイントだと思います。吃音がなくなったときは、吃音を忘れた状態だと思うのですが、治すことにこだわり過ぎてその事にいつもとらわれていますと、つまり忘れることが出来なくなります。

    「吃音のことをさておいて,吃音のことを離れて」と言うことを理解したとしても,残念ながらすぐ吃音が消えるわけではありません.「吃る心配もすぐきえるわけではありません」.でもそうすることで少しずつ少しずつ吃る確率が減っていくはずです.

     「吃音をわすれる」ということは微妙なニュアンスを含んでいます.人間は憶えていなければならないことを結構忘れがちですが,忘れたいことを忘れるのは苦手な動物のようです.「吃音をわすれる」とは,あることをやりたいとき「吃音があるから」,別のことをやるとき「吃音があるから」,というふうに,常に吃音のことを考えているのではなく,何かやりたいとき「まずさっと一歩を踏み出す」というニュアンス,無理にでも,意識しない,というニュアンス,「怖がることを吹っ飛ばす」も含んでいます.
    失恋したとき痛手を忘れて失恋から立ち直る,あの状態に似ていないこともありません. 失恋のショックを忘れようとしても,しばらくは忘れるなんて不可能です.しかし時間がたつにつれていつの間にか忘れている.あれです.

     お相撲さんにたいする「優勝を目指しますか?」の質問に,「いや,一番一番自分のすもうをとるだけです」という答えに,「優勝する目的を離れた(忘れた)努力」と同じ考え方を感じ取れます.目的は優勝することのはずなのですが.
    勝負には心の状態が大きく関係します.心が関係すると,直接目的を目指すことがとんでもない結果をもたらすことを日頃の経験から感じ取っているのでしょう.「一番一番自分のすもうをとる」ことが優勝に一番近い方法であることは確かなのですから.

    一番一番自分の相撲を取っていれば,結果として優勝がついてくる.
    一日一日の人生を一生懸命充実させて生きていれば,結果として吃音が消えていく.

    基本原理は同じようです.

    吃音を忘れられないときはどうするか?
    そのときは一歩踏み出すことです. そうすると忘れるチャンスが訪れるのです.



     吃音を治すためには,吃音を意識しなければならない.しかし,意識していては吃音は治らない. この相反する命題を解かなければならないのです.吃音は「言葉の問題」としてでますが,「心の病気」です.意識して心の問題を解こうとして,いつかこれを無意識の世界に追い込む,これがこのホームページのベースに流れている基本的な考え方です.

    したがって,吃音を治すためには
    1. 吃音が治ることを信じる.
    2. 吃音を治す努力をすることを固く決心する.
    3. その決心を心の奥に深く押し込んでそれを忘れる.すなわち,吃音に意識を向けず,吃音を治そうとしない,吃らないでおこうとしない.
    4. 希望を持って積極的に生き,日々充実感やたのしみを多くする.
    5. 生きる上でストレスがかかることや孤独感は正常であることを理解する.
    6. 強すぎるストレスはできる限りいなし心の負担を減らす.

     「吃音を治す努力をいっぱいすることがそれを忘れる事」なんて,心や精神が関係している病気はやっかいです.
    こういう意味で,このHPでは「吃音のコントロールの仕方」を提案しているわけではありませ ん.むしろ基本的には「吃音をコントロールすることを目標にしてはいけない」と主張しています.吃音をコントロールすることは,当然吃音の上に立った考え方ですし,吃音の上に立っていれば「吃音をわすれることなど」できないからです.そしてこれは原因を除去しようとするのではなく,結果だけをうまく いかせようとしているからです.これは一種の随伴反応かもしれません.だからあまり成功した 例が聞かれないのです.  上記の3から6を否定し,治らないので結果として1,2まで否定してしまうからです.

     言葉を出すためのコントロール法は一般的に永久に使えません.すぐにダメになってしまいます.そうするとまた新しいコントロール法を探すことになります.吃音と戦うのに大きなエネルギーを使って,使い続けて,結局何の効果も得られないことになります.これは吃音マジックとよんでいるものの一つかもしれません.しかし,吃音者は言葉の問題に苦しんでいますから,発声練習など「直接的な言葉の問題解決方法」の方が吃音を治すために有効であるように感じます.これも吃音を治らない病気にしてしまっている大きな問題点です.

     吃音をコントロールなどせずとも吃音がなくなってしまえばOKなので す.コントロールする対象が消えてしまうのですから.

     もちろん,現実対応として,または,原因削除に向かう1方法として吃音をコントロールする方法を身につけることも大切です.うまくコントロールできればそれによって話すことに自信を持ち吃る確率がどんどん減っていくからです.吃る確率が減ると自然と吃音を忘れていきます.しかしいつまでもコントロールできないのがこれまでの例です.

    ですから,吃音をコントロールする方法は,吃音を治すきっかけにはなっても,治す根本的な方法にはならないということを理解しておく必要があります.


    医学的見地からの吃音を忘れるの意味を
    「ヒント」”吃音を治すことは,間脳から「吃音の記憶を消し去ること」”
      に少し書いてあります.参考になさってください.


  13. 原因を取り除こう
  14.  吃音者は,「吃る」→「心が傷つく」→「吃らないでおこうとする」→「よけい吃る」→「心が傷つく」→「吃らないでおこうとする」→「よけい吃る」→「心が傷つく」→の繰り返しをしています.そしてどもりを言葉の問題ととらえて治したい治したい」と思っています.しかし,これでは吃りは治りません.治すためにはこの連鎖を切らなくてはなりませんが,直接的には切れないのです.しかもこの連鎖の始まりには「吃音の発症」があります.

     吃音が言葉の問題でないことは,独り言や他の人と一緒に言う場合にはほとんどの人が吃りませんからすぐわかると思います.一人で(周囲に人がいないとき)朗読するときもほとんどの人がどもらないと思います.このサイトを読むとわかるように,

     吃音は結果で原因は心にあります.簡単にいえば,心へのストレスやストレスを感じやすい性格(心配症的性格,恐怖を感じやすい性格,恥ずかしがり屋的性格,不安を感じやすい性格,感受性が高い人)が,周囲から(周囲の人間から)のストレスやストレスでないことをストレスと感じ,それを内部にため込み吃音を発生させていると考えられます(幼児の吃,Q&A,私の吃音克服人生参照).

    そのうえ吃音者には頑固なしっかりものが多いです.だからその不安や恐怖を外に出さないで内にためてしまいます.貯まって貯まってそれ以上ためられなくなったとき,そのストレスが外にあふれ出ます.それが言葉の問題としてでてくるのが吃音と考えられます.

    ほとんどの吃音者は「どうして吃音者になったかわからない」といいます.それは乳幼児期(言葉を話し出し,人間の基本的人格(内面)をつくる2歳前後.幼児健忘期)にそのきっかけがある人がほとんどのため,いつ言葉をおぼえたかがわからないようにわからない場合が多いのです.連鎖の始まりである「吃音発症」の原因をなくすのが吃音完治のためには一番の早道ですが,原因を特定することや特定してもそれを取り去ることはなかなかむつかしいのです.

       ですから,吃音を治すためには原因を取り除くこと,すなわち「心のケアー」が大切なのです.しかし,いったん吃音を発症すると上記の連鎖で吃音そのものが心にストレスをかけ,吃音を強化します.吃音は苦しいですから,本人は「吃音だけが苦しみをもたらしている」のだと思ってしまいます.実は,
    もともと苦しみがあって吃音が発症し,その結果苦しむ,すなわち,吃音の苦しみはその結果なのです.

     このように吃音は,吃音を治そうとすればするほど心にストレスをかけ治さない構造になっています.ですから「吃音を治そうとしたが一生治らなかった.吃音は治らないものだ」などという人もでてくるのです.ここにも吃音マジックがはりめぐらされているのです.

    吃音を治すためには「治す目的を離れた(忘れた)治す努力」,非常に難しい努力が必要なのです.

    人間にとって心とは一番厄介な問題です.心にこびりついた吃音原因を薄皮をはがすように一枚一枚とっていかなければならないのです.しかもこのためには,一歩を踏み出すちょっとばかりの勇気が必要なのです.だからどうしても時間がかかります.どこからどのようにしてこの「心のケアー」にたどりつくか.どのようにして勇気を出し始めるか.グループに参加することから,発声練習から,読書から,イメージトレーニングから,歌から,積極性から,小さな成功体験から,考え方から,スポーツから,旅行から,冒険から,精神的成長から,旅行から,講演会参加から,ボランティア活動から,部活から,ジョギングから,散歩から...いろいろあると思います.それが,「自分流の治し方を発明しよう」なのです.
     


  15. 吃音は自分の心の表現と考えましょう

  16.  言葉は自分の意志や考え方を表現するとともに,自分の感情や心を暗に表現しています.前者は言葉の内容によって表現されます.後者は声の抑揚などによって表現されています.恐怖の時は恐ろしそうな声,うれしいときは弾むような声,落ち込んでいるときは落ち込んでいるような声,.....等々です.生物は,現状に対処するように生まれつきこのような能力を持っているようです.ですから吃音をこの延長線上で,心の表現と考えても大きな問題は生じないと思います.すなわち,吃音を次のように定義することもできます.
     「人間は恐怖や苦しみを感じたときそれらしい(おどおど,恐ろしそう)声を出す表現方法をもっている.その延長線上の極端な場合として,最大の恐怖を感じたとき言葉を出さないという表現方法を持っている.言葉を出さない表現方法の典型例が失声で,その軽いものが吃音である」と.

     どもっている最中,吃ることによって表現される心は,基本的には次に示す3つのものによってできあがっていると考えられます.
    1. 吃音を発生させたストレスや,今までの吃音歴によって心に蓄積された吃音エネルギー(とでも表現すればよいようなエネルギー,蓄積吃音エネルギー,ある種の恐怖心,ストレスの蓄積)
    2. 今現在,現実世界から受けているストレス(直接ストレスエネルギー)(注1).すなわち,今の吃りの原因になっているストレス.これには「どもったら困る」といったような予期不安なども入ります.
    3. 今吃っていることからくるストレス.吃ったが故に「周囲が変な人と思っているのではないか」,恥ずかしさなどによるストレス(吃音ストレスエネルギー


     吃音は,苦しい,苦しい,早くこの苦しさをわかってほしい.それを早く取り除いてほしいという心の叫び,魂の叫び,すなわち「内面からの信号」と考えることもできます.ですから,苦しみの原因を追及してそれを取り除くことが必要なのです.信号(吃音)だけを取り除いたら原因が取り除かれずに大きな問題,すなわち,心の爆発を引き起こします.それ故,多くの
    吃音マジックがあちらこちらに張りめぐされて,「吃音(信号)を取り除かない工夫」,「吃音を治さない工夫」がされているのだと考えることもできます.こういう意味で吃音は治してはいけないのです

    だから,吃音は克服するものではなく,吃音の方が勝手に去っていってしまうのです.消えていってしまうのです.

     吃音にはもう一つ難しい性質があります.「苦しい,苦しい,早くこの苦しさをわかってほしい.それを早く取り除いてほしい」の信号として吃音が発生すると,その発生が逆に心に苦しみをもたらすのです.この性質も吃音を治しにくくしている原因の一つです.

     2.の直接ストレスエネルギーは今自分の前にいる人,自分の置かれている環境などでによって起こっています.これを分析することによって今どもっている直接の原因の一つを知ることができます. 3.の吃音ストレスエネルギーは,今,吃っていることに対する周囲の反応を,その人が感じることからくるストレスです.この後の落ち込みなどのストレスもこれに入ります.しかも,2,3は次の瞬間1の吃音エネルギーとして蓄積されます.

     1.の蓄積吃音エネルギーはすぐになくすことはできません.が,2.の直接ストレスエネルギーや吃音ストレスエネルギーは,やり方次第で軽減したりなくしたりできます.だから,まず吃音改善には,この2,3の軽減から入るべきです.
    どのようにすれば2,3を軽減できるか?   それはあなたの考え方一つにかかっています.どう考えるべきか? それはこのサイトを参考にして自分で自分なりの方法を見つけてください.

     簡単に言えば,この3つのエネルギーをなくせば,苦しさを表現する信号を出す必要が無くなります.すなわち,吃音は消えてしまうことになります.吃音自体ではなく,自分の中にある苦しみ状態を改善すべきことに気がつくことが,吃音治療の第一歩です.(左欄の吃音メカニズムを参照してください)

    (注1)簡単化してストレスと表現していますが,これには不安や心配,恥ずかしさ,恐怖など吃音を引き起こす様々なものが含まれています.

    1.の蓄積吃音エネルギーはいろんな(言葉以外を主とした)小さな成功体験の積み重ねによって消えていきます.そのためには「言葉を離れた体験」を多くすることが必要です.これが小さな自信を生み出すのです.

    言葉の問題を治すのに言葉に関係ないことをしなければならない」.ここに,「吃音治療が,”吃音を治すための治療をしている”」とは認識しにくい関係があります.これも吃音治療を難しくしている原因の一つです.
    発声練習や腹式呼吸,朗読練習をしている方が,吃音を治すことに直結しているフィーリングがありますから.




  17. 格言
  18. まず一歩を踏み出そう

     体験をふやすにはまず一歩踏み出す勇気が必要です.先の不安はいっぱいありますが,まず一歩を踏み出しましょう.後は野となれ山となれ.実力をうちに秘めた吃音者には十分対応できることしか起こりませんから.頭で考えているだけでは「実際」はわかりません.体験を通じて”体で”実際を感じ取りましょう.体が事実を覚えますから.それが幼児期についた吃音エネルギーをなくしていくはずです.最初の一歩,小さな一歩ですが吃音者にとっては大きな大きな一歩なのです.


    自分で自分にプレッシャーをかけることをやめましょう.


    吃音での失敗はさっさと忘れましょう.
     「覆水盆にかえらず」です.できてしまったことはしょうがないのですから.「気にしない,気にしない」,「しょうがない」が一番です.できてしまったことはさっさとあきらめて次の手を考えましょう.

     落ち込んだらしょうがなのでしばらく落ち込んでいましょう.しょうがないのですから.そうすればしばらくすれば立ち直っている自分を発見するはずです.


    取り越し苦労はやめましょう.

     高校に合格したときに「吃音でもうまくやっていけるのだろうか」とか,就職に成功した時に「吃音でもやっていけるのだろうか」など,考えるだけ無駄です.それより,合格したことや成功したことを率直に喜びましょう.いまあなたは認められたのですからなんの問題もないはずです.
     それ以上のことを心配してもどうしようもありません.心配しようがしまいがなるようにしかなりません.あとはぶっつけ本番で行きましょう.未来のことなど誰にもわからないのですから.問題が起こったとき解決方法を考えればよいのです.解決できなかったら吃るだけです.命まで落とすことはありません.

    「未来のことなど誰にもわからない.心配してもしょうがない」,それがあなただけではなくみんなに与えられた事実なのです.みんなと違うことがあるとすると,わからないことをわかろうとして心配したり不安がることだけです.そのような性格といろいろな巡り合わせを持って生まれてきているということだけです.



    自分で決めるべきことでないことを決めつけるのはやめましょう.

     吃って質問に答えられないと,そんな常識なことを答えられない自分を,「人は頭が悪いのではないかと見ているのではないか?」とか,「いま少し難発だったけれども変に思われているのではないか?」とか,電話の応対でちょっと間が空いてしまって「周囲に変に思われなかったか」などと自意識過剰になるのはよしましょう.あなたが他の人,一人ひとりに大きな関心を持っていないように,他人はそれほどあなたに関心を持っているわけではありません.他の人から見ればあなたはワンノブゼム(One of them)なのです.多くいる人のなかのすみの方でいる一人にすぎないのです.人がどう思おうとそれはその人のかってで,あなたがその人に「こう思え」という権利を持っていないのですから.そのかわり,あなたが人のことをどう思おうと勝手です.



    「世の中のすべてが正しくて自分が悪い」と思いこむ癖をやめましょう

     人間が集団で生きていく生物である以上「しつけ」は必須のものです.「しつけ」は正しいことです.しかし,問題はこの正しさにあります.
     「しつけ」は人間の自然の欲求,生の要求を社会にあうようにととのえる意味合いを持っています.このことは,その強弱によって人間の自然の欲求,生の要求を押さえつけることにもなるのです.「しつけ」が年齢相応に行われなかったり,その人の性格にあったように行われなかったり厳しすぎたりすると,自然の欲求,生の要求が十分成長する前に押さえつけられますので,「しつけ」がその人に自分の否定を強制します.そうすると,極端に言うと,すべては世の中が正しくて自分が悪い,という自己否定,劣等の心が生じます.自己否定の心が生じますと,自分ができないこと,自分がやりたくないこと,不運...など,すべて自分が悪いと思いこみます.また,世の中に自分のすべてをあわそうとします(あわそうとするのだけどあわしたくないもう一人の自分がいます.あわしたくないのだけどあわせないと心の満足を得られないもう一人の自分がいます.あわしても,あわさなくても心の満足が得られない.残るのは心へのストレスだけです).その結果無惨に失敗し大きなストレスを受けます.これでは心が持ちません.持たないが故に,我々の深層心理が吃音に逃げ込んでいるのかも知れません.「心がこんなに危機的状態にあるよ」という信号が吃音なのです.

    また,人によっては「吃音になったのは自分が悪い,吃音が治らないのは自分の努力がたらないからだ」と思ってしまう人もいます.そんなことはありません.人間はだれでも人類始まって以来の,親,子,親,子...の気の遠くなるほどの連鎖のもとで存在してます.自分が悪いとか悪くないとか言う話しではないのです.治ってないのは単にまだ治ってないだけの話しなのです.治る可能性をいっぱい秘めている証拠でもあります.



    「自分が正しくて世の中すべてが悪い」と思いこむ癖をやめましょう

     上記の反動として「自分が正しくて世の中すべて悪い」と考えることもあります.でも,1と0には正解がありません.どちらも極端すぎます.ハンドルを右一杯に切る,左一杯に切る,だけでは車を運転できないでしょ.1,0思想では何もうまくいかないのです.



    人と比べる癖をやめましょう

     人間一人一人違います.個性をもっています.ある人が優れているところは別の人が劣っている.ある人が劣っているところは別の人が優れている.だから多くの人が生きる意義があり人生が楽しいのです.
     平均すればある人は他の人より50%劣っており50%優れているのです.自分の劣っている50%と人の優れているところ50%を比べれば,残るのは強烈な劣等感です.自分の優れている50%と他人の劣っている50%を比べれば,強烈な優越感が得られます.1,0思想でどちらも正常ではないのです.


    人は人,自分は自分です.他人と比べるのはやめましょう.

    実際は吃音者は70%以上優れているのです.優れているが故に10数%の劣っているところに悩むのです.ちょっとばかりあつかましいのです.
    それより,自分の良いところに磨きをかけましょう.



    吃音を理解してもらいたいと思うのをやめましょう


     「誰も吃音の苦しさを理解してくれない.親も理解してくれない」などと吃音を他人が理解してくれないのを悩むのをやめましょう.

     あなたが親の気持ちを全部理解できないように親もあなたの気持ちを全部理解できないのです.それが人間なのです.まして,吃音を経験してない人が吃音者を理解することは不可能です.不可能なことを可能だと思って他人に要求し,結果が不可能だったとして恨んだりひがんだりするのはやめましょう.それが真実なのです.

     残念ながら人間は他人のことを多少理解できても多くを理解することはほとんど不可能です.自分ができないことを他人に要求して,その結果自分にストレスをかけるのをやめましょう.そのストレスがまた吃音に向かわせますから(ここにも吃音マジックがはりめぐされているのです).吃音を少し理解してもらえばそれで充分です.

     しかも吃音者は吃音を隠そうとします.周囲の人に吃音をわからないような行動をしていれば,周囲の人はそれを認識すらできません.認識すらできない状態にしておいて理解してほしいと思うのは大きな問題です.

    理解してほしい→わからないように振る舞う→わからない→理解する以前の問題→理解できない→ストレス→理解してほしい→わからないように振る舞う→......

    無限ループが始まります.そして残るのはストレスだけです.ここでも大きな吃音マジックが張り巡らされているようです. だから理解されなくて正常なのです.


    逆に今周囲の人があなたの吃音を理解してくれているとします.このことはあなたの吃音を周囲の人がみんな知っていることを意味します.周囲のすべての人は吃音者ではなくあなただけが吃音者.そしていろいろ気をつかって親切にしてくれる.電話にはでなくて良いようにしてくれる.本読みはあなたをぬかしてくれる.名前を言おうとしたら周囲の人がいってくれる.友達どうしでワイワイガヤタヤしているときに,あなたが話さなくても良いようにしてくれる.あなたが吃り始めたら周囲は気がつかないふりをしていてくれる.

    こういう状態にあなたは耐えられますか?

     もしあなたがこういう状況が平気で,そこでいきいき生きられるような人なら,おそらくあなたは吃音にはならないでしょう.そういうことがつらい人だから吃音になっているのではないでしょうか?
    ここのところを考えてみる必要があります.

     もしそうなら,あなたは「吃音であることを理解してもらいたくない」ということを基盤として「吃音を理解してほしい」と思っていることになります.

    「理解してもらっても,してもらわなくてもストレスを感じる」.右へ行っても地獄,左へ行っても地獄,残るのはストレスだけです.大きなエネルギーを使って効果を出さないどころか逆に吃音を強化する.ここでも「吃音者はいつまでも吃音でいたいと思っているような行動をとる」としか思えないような,吃音マジックが張り巡らされているようです.


    最初から大きな穴をたくさんあけるなどというあつかましい考え方をやめましょう


     堅い板に穴をあける場合,最初から直径50cmもある穴をたくさんあけようとするのはやめましょう.そんなことは無理です.まず,一つ小さな穴をあけることから始めましょう.小さな穴があいたらそれをすこしずつ大きくしていきましょう.そして目的の穴が一つあいたらそれに十分満足してから,次の穴をあけることに取りかかりましょう.
     何のはなしかって?
     吃音者はいろんな分野でトップ,または,それに近くありたいと願いがちです.英語に得意でありたい,数学も,音楽も,サッカーも,野球も,友達作りも,......そして試みて失敗します.当たり前ですが.その結果は劣等感です.そんなに同時にできるはずがありません.要求水準が高すぎるのです.まず,一つのことに集中して努力して成功する.一つに成功すれば自信がつきます.活性化します.その自信が次の挑戦を可能にしてくれます.それを同時に一度にしようとしても無理です.一般的に一つでさえ成功するのは至難のわざなのに.
     もしかしたら,要求水準の高さと心の焦りが,あれもこれもと手を出させるのかもしれません.

    たとえ失敗してもその失敗は次の成功のTステップになります.人生,無駄になることなど何も無いのです.考え方次第で.


     友達を作るべきだ,みんなと仲良くすべきだ,けんかをすべきでない,Hなことをすべきでない,いじわるをすべきでない,勉強を熱心にすべきだ,みんなの人気者であるべきだ,主人公であるべきだ,みんなにやさしくあるべきだ,好き嫌いをいうべきでない,夜更かしをすべきでない,彼女を守るべきだ,男らしくあるべきだ,苦難から逃げてはいけない,.....などなど,ステレオタイプに思いすぎていませんか.もし,こんなことを人間全員ができたら,人間社会は無味乾燥なものとなるような気がしますが.「水清ければ魚すまず」の世界が人間社会,いや,地球ファミリーの世界なのです.だからこそ,「みんなと仲良くすべきだ,.....」などの標語が声高にさけばれるのですから.

     山に行くと高い木,低い木,地面にはいつくばっているこけなど,葉を食べる虫,その虫を食べる他の昆虫,....非常に多様な生物が生きています.高い木は高い木どうしで太陽のとりあいをし,低い木はそのおこぼれを最大限に利用して成長しようとしています.倒れた木を消化し,昆虫の死骸を土に戻す生物もいます.このような山や森の多様な生態系こそ生物が一番繁栄できる状態なのです.このうちどれ一つなくなっても繁栄が失われるのですから

      理想を追求することをやめてはいけませんが,理想と現実をいっしょにしすぎてもいけないのです.


     

    「吃らないでおこう」とすることを「吃りを治そうとしていることだ」と勘違いするのはやめましょう


     ふだんの生活で吃ることは恥ずかしいことです.吃りがバレます.ですから,どもらないでおこう,どもらないでおこうとしてします.そして,それを「吃りを治すように努力していること」と勘違いしてしまいます.

     残念ながらこれではどもりは治りません.いつも吃りを意識し,「吃るとはずかしい」を,繰り返し繰り返し頭にインプットし,しかも心にストレスを与え続けているからです.「吃らないでおこう」とすることはおどろいたことに吃音を強化しているのです.ここにも吃音マジックが張り巡らされているのです.

     残念ながら吃りはすぐには治りません.どうしても吃ります.ちょっと(ではないけど)恥ずかしくて恐いけれど,吃る時は吃りましょう.吃らないように気をつけていても吃るのですから結果的にはおなじことです.「吃ることを覚悟すること」,難しいことは難しいのですが.

    逆に,吃ってもしょうがない,と思ってしまえれば吃る確率はぐっと減るはずです.吃らないでおこうとすると吃る,吃ってもしょうがないと思うと吃らない,これも吃音マジックの一つです.

    どうしても言葉がでないとき,そのときは現実対応として「言い換え」,「頭にえーをつける」...などあらゆる手を使いましょう.そして言えたとき「成功!!しめしめ,俺はえらい!!」と喜びましょう.決して「また逃げた」などと悩むのはよしましょう.


  19. 吃音を治すために生きていません
  20.  我々は吃音を治すために生きているわけではありません.「人生の目的は何か?」という問いに答えることは難しいことではありますが,なにか目的を持っているはずです.その目的を達するために生きているわけです.すなわち,吃音完治はその目的を達するための一つの手段でしかありません.いや,手段でさえないかもしれません.この手段を取得しなくては目的を達することができないとするのは大問題です.このことを心に留めておく必要があります.


  21. 吃音者よ吃音と戦うな!
  22. 吃音マジック

     吃音は苦しいですから吃音が苦しみを与えていると考えがちですが,逆に不安や苦しみが先にあって吃音はそれを訴える手段だとも考えられます.

     この考え方は結構当たっている可能性もあります。「吃音によって苦しんでいる」と思っているのに、何か別の苦しみや問題点がさきにあって,その結果として吃音がある.だから吃音を治したいと思って努力すればするほど原因が陰に隠れ,吃音は治らないということになります.
     吃音を,「苦しい,苦しいという心の叫び,心の苦しさを訴える信号」と考えると,信号だけを取り除くと心の苦しみだけが残って出口を無くし,いずれ心が爆発してしまいます.だから,吃音を取り除かない工夫が随所に張り巡らされているとも考えることもできます.吃音を治そうとすればするほど治さない仕組み,場合によっては,治そうとすると吃音を強化する仕組みが組み込まれています.
    これをここでは「吃音マジック」と呼ぶことにします。

    吃音を治すためには,信号ではなく原因を取り除かなければならないのです.

     吃音マジックが本当だとすると,吃音は我々の頼りになる味方です.そうすると,吃音を治そうとすることは,味方と戦うことになります.味方と戦って傷ついたらその味方に救いを求めます.味方と戦って勝利したら,最終的には自分の敗北がまっています.こういう関係がある限り,吃音に勝利するわけにはいきません.吃音と戦って吃音に負けなくてはならないのです.吃音治療に膨大なエネルギーをつぎ込んで,そのエネルギーが効果を及ぼさないようにしなければならないのです.
    そうならないためには,「吃音者よ吃音と戦うな」でなくてはならないのです.
    いや,「吃音者よ,吃音と戦え,しかし,吃音と戦ってはいけない」なのでしょう.最初の”吃音”は吃音の原因のことで,後の”吃音”は言葉の”つまり”の意味で.原因をなくして吃音のつけいる隙をなくさなければならないのです.


     もう一つの吃音マジックがあります.本読みの順番がまわってきそうになりますと,吃るのが心配で不安ですから何回も何回も練習します.練習すれば吃らないと信じているからです.もし,吃音が練習不足や舌の回転が悪いのが原因ならばこれで治ります.でも,実際にはそうならないことは吃音者は体験して一番よく知っていることだと思います.
    なぜなのか?
     これは言いにくい言葉を探して,「この単語は言いにくい,吃るかもしれない,吃るかもしれない,....」と頭にインプットしていることでもあります.ですから本読みなどでその言葉の周辺に来ただけで,吃る言葉がわかってしまうのです.「吃るかもしれない単語に近づいている,吃るかもしれない」,「吃るかもしれない」...「吃ったらどうしよう」「はずかしい」,「吃ったらどうしよう」,.......もちろん結果は「吃って」悲惨です.こうなると吃らないためにやっていることが,吃るために一生懸命努力していることになります.こういう場合が結構多いのです.これも都合の良いことに??,「吃音治療に膨大なエネルギーを使いながら効果を及ぼさない,というよりも吃音を強化している」という吃音マジックにのってしまっているのです.

     中にはテレビを見ながら「あの言葉は言えない,あれもダメ,あれも...」と思いながら吃音強化?をねらっている人もいます.また,人がしゃべっているのを聞きながら「あの言葉は言えない,あれもダメ,あれも...,俺はダメだ」と繰り返し繰り返し吃るためのイメージトレーニングをしている人がいます.
    すばらしい吃音マジック!!

     だいたい本読みで吃るのは「みんなの前での本読み」です.「一人だけでは本読み」は吃りません.だから以下の方程式が成り立ちます.

    吃音の原因 = 「みんなの前での本読み」 − 「一人だけでの本読み」
            = 「みんなの前」


    吃音の原因は「みんなの前」なのです.それが「一人だけでの本読み練習」で吃らなくなるのでしょうか?「みんなの前」での練習が必要なのに「一人だけ」での練習をしているのです.朗読ができるのに朗読の練習をしているのです.

     すなわち,吃音者は「本読み」では吃らないのです.「みんなの前」で吃るのです.だから練習すべきは「みんなの前」です.原則として朗読練習では吃りは治らないのです.

    このことは吃音全般についても言えます.言葉が出なくなるのは,みんなの前なのです.周囲に人がいなければ吃る言葉なんて無いのです.だから吃音は言葉がでないという現象として出ますが,言葉の問題ではなく,周囲の人の感じ方の問題なのです.人見知りの一種で(実際には2歳の時のトラウマがある),その結果として言葉が出なくなった,と考えても大きな間違いではないでしょう.

    吃音は言葉に関係ないですから,言葉に関する練習や訓練,すなわち,朗読練習,発声練習,腹式呼吸法などは,吃音とは何の関係もないと考えるべきです.

    (
    注意,まとめの注2))

     超,超極端な意見かもしれませんし,また厳しい見方かもしれませんが,「吃音にいつまでも苦しんでいたい」,「吃音を治すために一生を過ごしたい」という心が無意識の中にあるのかも知れません.一日中吃音のことを考えていれば他のことを考える必要が無くなります.他のことを考えることに耐えられない心を,他の心配や不安や恐怖に耐えられない心を,自分でみたくない自分(弱い自分,不甲斐ない自分,...)をみることを,吃音でマスクしているのかも知れません.吃音は苦しいですがそれさえ耐えれば心の安定が得られるからです.


  23. 言葉をマスタしてから生まれるなんてできません
  24.  留学するときを考えるとこのことはよくわかると思います.米国に留学するとします.英語が必要です.英語がぺらぺらになってから留学すべきだと考える(この論理がいわゆる堅い職業の方の職業上の基本論理です.そして,吃音者の親はこの堅い職業に就いている方が多いのです)といつまでも留学できません.ぺらぺらになることなど不可能に近いのにそれを日本で成し遂げようと言うのですから,むちゃくちゃなことを考えているわけです.適当に英語の勉強をしたら留学すべきなのです.英語は単なる手段にしかすぎません.留学してから勉強した方がよほど効率的に英語をマスタできます.かのジョン万次郎だって最初は一言もしゃべれなかったはずですが,立派に米国の大学を卒業しています.

     我々は誰でも言葉が話せないのに生まれてきているのです.「話せるようになってから生まれよう」などと考えると,生まれることができないでしょう.

     だから吃音があっても,治し方の基本的な考え方が身についたら,自分の目標に向かって人生を積極的に生きるべきなのです.この積極的な人生の生き方が吃音をなくしていくのです.そしてそれを通して人類に貢献するとともに,その生き様を通して次に続く吃音者がすこしでも減るように努力すべきなのです.特に自分の子供に伝えることをやめるべきです. (子供の吃「世代連鎖」を参照してください).
    「特に吃音を治してから何かをしよう」なんて考えて,吃音マジックを楽しむのはやめましょう.


     「吃音を治す」といいましたが,「吃音は治すものではなく治るものなのです」 .治るための万全の準備をして「治るのを待つ」ものなのです(人生を積極的に生きれば自然と吃音は無くなっていきます).


     

  25. 「吃音は治らない」病気なのでしょうか?

  26.  治った人がいますから「吃音は治らない病気」というのは正しくありません.吃音は治らない病気ではありません.
    では「全員治るのか」といわれますと,そうも言えません.これまでは一生治らなかった人が結構多いからです.現状では,「吃音は治る病気だけど治らない人も多く,年とともに軽くなって行くケースが多い」,これが正確な言い方かもしれません.治らない人が多いのは吃音の本質が理解できていなかったせいかもしれません.
    しかしながら近年,吃音は治る病気であることが明らかになってきました.「HK吃音理論」をお読みください.

    後ほど述べますが,吃音治療は,「自分の内面を,自分で気がつかないように自分でコントロールする」ということをしなくてはなりませんので,自分だけで治すのが難しいことは確かです.でも,基本的に治すのは自分なのです.
     治らなかった人がいても不思議ではありません.”その確率を少しでも減らしたい”というのがこのサイトの大きな目的です.そして「吃音は治る病気で多くの人が治る」となったとき,このホームページが役割を終えるときです.早くそうなることを願っています.すなわち,このホームページは自らをつぶすためのホームページなのです.

     確かに,「吃音は治る」と思っていつまでも治らない状態でいるよりは,「治らない」とおもってしまうほうがすっきりします.精神的に非常に楽になります.人間にとってはこの「中途半端な状態でいる」ことほど厳しい状態はないのです.宙ぶらりんの状態でどちらにも決まらないで延々といくことは人間の魂をまいらせてしまいます.どちらかに決まったとき気持ち良さを味わえるのです.その気持ち良さが国家や家庭や個人の滅亡など導いたことは枚挙にいとまがありません.だから「吃音は治らない」とおもって気持ちよさを味わうのは大きな問題なのです.それに「吃音マジック」もひかえています.
     どうせ気持ちよくなるのなら「吃音はいずれ治る」と信じてしまって気持ちよくなりましょう.それの方が生産的です.
     しかし決して「治さなくてはならない」とは考えないでください.「治らないのは努力が足りないからだ」とも考えないでください.こう思うことは「吃音にとらわれる」が故に,逆に吃音を重くします.

    ”人事をつくして天命を待つ”

    ”治らぬなら治るまでまとうホトトギス”

    の心境が大切です.

    「吃音は治らない」は,ここで言う吃音を心の苦しみ信号と解釈すれば,「吃音を治そうとしても吃音は治らない」は,「信号だけを取り除こうとしても取り除けない,取り除いては行けない」と言うことを意味しているので,「吃音は治らない」ということは間違ってはいないのですが.

    またもや「吃音マジック」がでてきてしまいました.


  27. 単純思考はやめましょう


  28.  「吃音を認めること」そく「吃音は治らない」と結びつけたり,「吃音は治ると考えること」そく「吃音を認めないことである」としたり,「吃音を治さないと人生はじまらない」と考えたりする"単純思考"をやめましょう.吃音者は今吃っています.認めるも認めないもありません.認めて仲良くつきあって行かざるを得ないのです.治るまでは.
     足を折ったのに「折ってない」といって,歩き回る必要がどこにあるのでしょうか?折った足は治らないと思いこむ必要がどこにあるのでしょうか.折ったことを認めるも認めないもありません.折っているのですから.そういうことを考慮した上で人生を生きる.もちろんそれとともに治療を行うのは当然のことです.
     単純思考をやめて客観性をもとめ,心豊かに人生を過ごすことこそ,特に吃音者には必要なのです.


  29. 吃音が治るとは?
  30.  「吃音が治るということはどういうことか」?.これが吃音を治すうえで大きな参 考になると思いますのでを最初に書いておきます.

     「吃音が治るとは」,当然どもらずに話すことができるようになることですが,こ れでは吃音者にはなんの参考にもなりません.「吃音が治るとは」,話すとき にどもることを全く意識しなくなることです.何か話したいと思ったら言葉が出てい る,あの単語は言いにくいとか,言えないのではないかとか,連発するのではないかとか, このようなことをいっさい考えなくなることです.このような不安や恐怖(予期不安)を感じなくなることです.

    実際吃っているかどうかには直接関係ありません.だから予期不安を感じなくなったとき吃っていても吃音は治っているのです.


     このような状態になったときには,ほとんどどもることがなくなっています.何も考えなくなって吃音がきえてしまっているのです.非吃音者の状況そのものです.


  31. ”吃音が治る”の定義
  32.  もう少し正確に”吃音が治る”の定義をしておきます.
     吃音が治るとは,非吃音者と同じになることです.
     もう少し詳しく説明しますと,それは,吃るとか吃らないとかに直接関係ありません.すらすら話せるかどうかにも関係ありません.非吃音者でもすらすら話せる人もいますしいない人もおります.たまに連発する人もおります.ですから,

    吃音が治るとは,実際吃っているかどうかに関わらず,話すことに関して「話せる」とか「話せない」とか,「話せないのではないか」とかいうことを考えなくなることです.

     たとえば明日,人の前で何か話さなければならないことがあるとします.このときうまくいくかどうかということは誰でも考えます.心配もします.話す前には緊張したり,話すときにはあがったりします.胸もどきどきします.誰でもそうなるのが普通です.

     吃音者はこのような時,上記以外に発語できるかどうかを気にします.一人で発表練習をしているときは,周りには誰もおりませんから,吃ってもはずかしくありません(この状態では当然ほとんどの吃音者は吃らない)ので,発語できるかどうかは当然問題になりません.が,人前で話す本番のときに発語できるかどうかを(練習中にも)心配します.心配がこうじて恐怖や不安を感じたりします.吃ったら恥ずかしいからです.
    発語できない言葉があるかどうかを調べ,あったら置き換える言葉をさがしたりします.置き換えることができなかったら何度も練習します(これは吃る言葉をさがして準備して意識することですから,本人の目的とは逆に,結果的に吃ろうとしていることになっています).こうして心の中で,ごく普通の場所である発表の場所を恐怖の場所に変えてしまいます.作り上げた恐怖の場所での本読みは当然吃音を発生させます.
    結局心配や不安や恐怖が吃音を強化させているのです.これが吃音の根本的な原因かも知れません.

     このような発語できるかどうかを本番以前(発語直前も含む)に心配することを,ここでは”発語予期不安”と呼ぶことにします.

     吃音が治るとは,発語予期不安を感じなくなることです.このような意識が消えてしまっていることです.(注)

    その結果として吃ることはほとんど(たぶん完全に近く)なくなっているのです.予期不安を感じなくなると言うことは,言葉を発するとき言葉に関して無意識になるということです.すなわち,歩こうと思ったとき足が勝手にでているように,話そうと思ったとき言葉が自然に出ているということです.これは吃音を「忘れた」ことと同じです.

    「忘れる」というのは超難しいことなのです.「忘れる」ということは,「恐怖や不安を感じない」,「自信を持つ」と同じ意味でもあります.ここでの忘れるは「漢字を忘れた」や「名前を忘れた」の「忘れた」ではありません.「昔やったスポーツをすっかり忘れた体が動かない」「20年ぶりに故郷に戻ったら,すっかり忘れていた久しぶりに昔のフィーリングを思い出した」といった意味での「忘れた」のようなものに近いかもしれません.(「吃音の記憶を消し去ること」参照してください).

    (詳しいことは,「良くある質問」の”どうして発語予期不安を感じなくなると吃音がなおったことになるの?”を参照して下さい)

    (注)
    この定義は1998年ごろされたもので,予期不安を感じている吃音者の「吃音は治る」の定義です.大人になった吃音者の多くは予期不安を感じていますから大人用の定義といってもよいかもしれません.吃っててもそれさえ感じてない吃音者もいますので,この場合には適応できません.

    また,吃りはじめの第一声を発する人には適用できません.吃ったこともない人に予期不安があるはずがありませんから.また,吃っている幼児が予期不安を感じているかどうかは正確にはわかりませんが,恐らく感じてないと思われますのでその場合にも適用できません.

    16年後の今では,「言葉を出しても大丈夫だ」と,無意識層が納得した時が「吃音が治った」と定義する方がベターだと思います.これだと幼児にも適用できます.ただし,実用的には,「無意識層が納得した」ってどのようにして知るの,という問題はありますが.

    この定義には「予期不安を感じなくなった時」が含まれますので,上の1990年の定義と矛盾することはありません.なぜ「無意識層が納得した時」なのかということは,このHPの他の部分を参照なさるか,著書「吃音は治って行く」をご参照ください.



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    吃音が治った状態とはつきまくっている状態に似ている

     人生には何らかの場面でやることなすこと次から次ぎえとうまくいく場合があります. どうしてだかわからないのに,何も特別なことをしてないのになぜかうまく行く. それに対して,やることなすこと全くうまく行かなくて沈み込んでしまうときがあります. うまく行かない原因を考えていろいろ試みてみますが,ますますうまく行かない場合です. 前者は「つきまくっている状態」で,後者は,「ついてない状態」です.
     ついているときには,周囲に騒音があろうか,少々寒かろうが,人が見てようが全然気になりません.というより,まるで感じないでしょう.ついていないときには,すべてのことが気になっていらいらしてしまうことも多いでしょう.でも周囲が変わっているわけではありません.自分の状態が変わっているわけです.

     吃音であることは,言葉に関してこの「ついてない状態」にいることで,治った状態とは言葉に関 して「つきまくっている状態」にいることと考えられます.つきまくっているときは何も考えずに,時間の立つのも忘れて無我夢中になってそれをやっています.1時間,2時間があっというまに過ぎています.「何も考えずに時間のたつのも忘れて話している状態」,それが吃音でない状態なのです.

    また,ついているいないに関わらず何かに夢中になっているとき,忙しくててんてこ舞いしているとき,自分のことを考える余裕がない緊急事態のときも同じ状態になります.不思議なことにこういう状態ではどもっていないのです.
     このような状態に自分をどのようにしてもっていけばよいのか,それが吃音の治し方の基本なのです.


    吃音とは歩くとき足の出し方を意識するようなもの

     この状態は,我々が歩くとき,横断歩道をわたろうと思ったら,自然に足が動いて 歩いているのに似ています.すなわち,吃音の状態とは,横断歩道をわたろうとして いるとき,右足を出すとき左手を引いて,左足を出すとき右手をひいて等と考えなが ら歩いているのと似ているところがあります.このようなことをしだすと,おそらく 歩き方がぎこちなくなったり歩けなくなるでしょう.そしてそれを誰かに見られ笑われたら,次からもっと気にするようになりますますおかしくなるでしょう.歩くことそのことに恐怖を感じるようになかもしれません.だから,吃音が治ったとは,足 や手をどのように動かすか考えずに歩いている状態と同じだと考えられます.


    吃音とはスキーで転ぶようなもの

     スキーをやった人ならわかると思いますが,この斜面は曲がれないなと思った瞬間 転びますし,ここは曲がれると思ったときはうまく曲がれます.(「思った」と言うよりも「そういう感じになったとき」,「そういう気分になったとき」という表現の方がよいかも知れません.)

    「曲がれないんじゃ ないか」「曲がれないんじゃないか」と思っている状態が吃音者なのです.だから本 来曲がれる斜面でも転んでいます.ころんだものですから次からますます「曲がれないんじゃないか」と考えるようになり,ますます転ぶようになり自信をなくし,ついにはいつも曲がれなくなってしまいます.


     すなわち,どもらなくてもすむ場面でも「どもるんじゃないかな」と思ってしまうのでどもっているのです.いいかえれば,自分で自分にマインドコントロールをかけてしまっているのです.このような状態になった時,うまく曲がれるようになるにはどうすればよいのでしょうか.「曲がれないのではないか」と考えないようにすればよいのでしょうか?.考えないようにすることも必要ですし,逆に「曲がれるんだ」と思ってしまうことも必要ですが,それで曲がれるようになるのでしょうか? 考えないようにすることで,考えないでいられるでしょうか?


    スキーがうまくなるためには?

     それではどうすればよいのでしょうか?それは,スキー学校にはいることと,その 後の練習と経験と自己研鑽を行うことによる技術の向上と恐怖心の克服,また,それ と同時に何回も滑ることによって滑ることになれるとともに自信をもつことです. その結果,スキーがうまくなったとしますと,そのときは,「曲がれないのではない か」「曲がれるな」などと考えることなく,「あそこを右へ行って次に左へ行って」 と思うだけですいすい滑れているでしょう.いつも曲がれる気分になっていて, その気分さえ当たり前になっているので,曲がれる気分さえ感じなくなっているでしょう.


     「曲がれないとは考えない」,「曲がれるとも考えない」.「何も考えないのに曲がりたいところで曲がっている」.このような状態が,吃音が治った状態なのです.このような状態に自分をどのようにして持っていくのか?それが吃音の治し方なのです.一朝一夕にスキーがうまくならないよう に,吃音も,病院へ行って薬をもらって飲んだらすぐ良くなるような病気ではなさそうです.しかも,スキーは自分の心と技と自然との闘いだけですが,吃音はこれに社会 や周囲の人が大きく関係した中での複雑な闘いなのです.しかもスキーと違って,技術より も心理面が大きく影響するという性質を持っているようです.だから,治癒が難しいと考えられます.


    どうすれば治るのでしょうか?

     「吃音を治すには発声練習や呼吸法をやったほうがよい」と言う人もおりますし, 「吃音を治そうとしないで吃音を受け入れ,その上で社会生活をおこなった方がよ い」という人もおります.また,「話すとき,どもることを意識しない方がよい」と 言う人もおります.どれも間違いではありませんし良い方法であることは確かです.

     吃音を治そうとしないのも吃音を治す方法の一つですし,話すとき意識しなでおこう と努力するのも吃音を治す良い方法です.治す方法が見つかって希望に燃えているとき, これもすばらしい状況です(たとえ,結果的にその方法そのものが効果がない方法であっても).
    しかし,治そうとしないでおこうとしても 治したいですし,意識しないほうが良いとわかっていても意識してしまうのが吃音者 の常であると思います.そんなことができる人なら吃音者になっていないのではないでしょうか.
    希望に燃えながら一方で疑っている.吃音者は賢すぎるところをもっています.


     専用の器具を進める人もおります が,専用の器具を使ってもスキーがうまくならないように,これにはあまり期待しな いほうが良さそうです.ただ,高価なスキーですべったらたまに気持ちよく滑れて,気分が良くなって練習に精を出し,すっかり自信をつけてうまくなるということもなきにしもあらずですが.また,高価なスキーでもうまく滑れないことがわかって,滑れないのは腕のせいであることがはっきりすると言う効果もありますが.
    吃音者にとっていいことにしろ悪いことにしろ「体験すること」は非常に大切です.しかし,あまり高い「授業料」を払うのも考えものです.


     専門の病院があることをあまり聞きませんし,専門家もそう多くなさそうです. 「吃音の経験がない専門家に吃音のことがわかるのかな?」というちょっとばかりの懐疑心もあります. 吃音について相談する人をえるのもなかなかできることではないようですし,そ うかといって,他人が何らかんだいってくると,お節介をやかれているようで余りよ い気持ちもしません.専門家からアドバイスを受けることができるとしても,また, 仲間に相談できるとしても,結局は吃音については自分が中心となって,自分のこと は自分でやるよりほかなさそうです.そんなとき本文が何らかの参考になれば幸いで す.


  33. 最後に

  34.  本ホームページは,吃音者の状況が昔のままほとんど改善されていないのに憤りを感じて始めたものです.それゆえ,本ホームページは他の吃音サイトとしては少しスタンスが違っております.まず,自分の頭で考えることが重要だと思って過去の研究成果をあえて参照せずに,ChiNe研の研究成果をもとにHeroが洞察してまとめています.もし過去の研究成果が効果的ならばもっと吃音者の状況が変わっていると思ったからです.
     その副次効果として,用語が一般的なものになっていますし,優しくわかりやすく,またまとまりもよくなっていると思っています.逆に悪いところもあるのは確かですが.

     その後過去の研究者の研究成果にふれる機会に恵まれることがありますが,その多くはこのホームページの内容で包括的にうまく説明できるようです.スタンスはオリジナルですし内容もオリジナルですが,そういう意味で荒唐無稽なものとはなっていないようです.(注1)
    特に「幼児の吃Q&A」は吃音の原因のかなり重要な面を明らかにしています.

     良質の情報があればどんどん取り入れようと思っておりますので,そのような情報をお持ちの方是非お送りください.

     本文ではわかりやすくするために,いろいろなことをかなり割り切って書いています.真実とか事実の提示(実はまだ誰もできないのです)ということではなく,現段階でこうすればよいと思われることについてまとめています.ある意味で独断と偏見に満ちた意見かも知れませんが,吃音治療が大成功を納めているとは言い難い現状では,これも一つの方法であると思います.こようなことをご承知の上でご自身の責任で,すなわち,取り入れるべきこと,取り入れてはいけないこと,を判断しながらご利用下されば幸いです.

     とはいうものの,多くの吃音の方に接するにつれて,ここに書いてあることはおそらく90%以上(もしかしたら99%以上)正解に近いのではないかと考えるようになっています.残念ながらそれが正解かどうかはChiNe研でも証明できません.脳に関係する事項のようだからです.だから世界中の誰も証明できていないのが現状です.しかしながらこのサイトを注意深く読まれれば,正解であることを確信されるはずです.

    このサイトを参考にしてぜひ吃音を治す自分なりのヒントを見つけて下さい.
     才能に恵まれたみなさまの前にはすばらしい将来が待ち受けているのですから.

    それでは皆様が社会で活溌に活躍され,次に続く吃音者がすこしでも減ることを祈っています.

    Hero(ひろ)

    (注1)

     「吃音が発生する脳の仕組み」に関しても研究がすすめられているようですが,一般に「言いたい」とおもったらそれがどのような仕組みで脳で処理され最終的にどのような仕組みで言葉として発声されるかという脳のメカニズムは,まだほとんど明らかにされていないようです.また,精神状態や感情と言葉の関係はほとんど解明されていないようです.このメカニズムが解明されないとおそらく吃音にたいする正確な議論は難しいと思われます.それにはまだまだ多くの年月を待たなくならないようですので,本サイトでは意図的に「脳のしくみ」に言及することを避けています.