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吃音治癒体験談と吃音に関する主張 −その1−




  1. ぱっぱらー さんの意見

  2. はじめまして、僕も吃音に悩む会社員です。 このページの「吃音は治る」という主張に大賛成です。 僕も小さい頃から吃音に悩んできて、親にも、「吃音は治らないから」 なんて言われて来ました。 よくこんな風に、「吃音は治らない」なんて安易に言う人がいますが、 勘弁してもらいたい気分です。 こんな事を言っていると治るものも治らないと思います。 このような人たちは一生吃音と共に過ごすつもりなのでしょうか。 言葉を喋る時にいつもドキドキと不安を感じながら生きていくつもりでしょうか。 僕は絶対お断りです。


    社会人になって、自分の吃音と真っ向から対決しなければならないと感じました。 喋れないと色々苦労することが多いですから、 自分はいいとしても、他人に迷惑かけるようではいけません。 ですから、治る、治らないはまず置いといて、 吃音を直す努力をしてみようと思い立ちました。


    僕が「吃音は治る」と考える根底にあるもの、それは、 「一人の時には吃らない」という事です。 一人の時でも吃る人は、発声の仕方が悪いのではないかと思います。 例えば自分もそうだったのですが、早口で、あせって喋る癖がついていたりです。 それは発声訓練などの矯正で治りました。 問題は一人のとき喋れるようになっても、人と喋る時吃ってしまうということです。 でも、一人のとき吃らないのですから、その状態で他人と接することが出来れば、 吃音は治るということだと思います。


    僕は「吃音者」なんていないと思っています。 例えばここに足が悪くてよく転ぶ人がいるとします。 その人のことを、「転倒者」なんていうでしょうか? 例えば足が悪かったり、貧血でボーとしていたり ドジで足がよくひっかっかったり、色んな理由で人は転びます。 すなわち転倒するのには理由があるのです。 そしてここが重要なのですが、どんな正常な人でも、 前のような転ぶ理由があれば、いとも簡単に転倒してしまうのです。 吃音にも同じ事が言えると僕は考えます。


    自分が吃音状態にある時の事を考えてみました。 胸がいっぱいになって、心臓がドキドキし、喉は硬直し、頭は真っ白になります。 このような状態ではスムーズな発声なんて出来ません。 しかし例えばプロのアナウンサーであっても、舞い上がってしまって、 前のような状態になって息も吐けないならば、発声なんて出来ないのです。 彼らがスムーズに話せるのは、少なくともそのような状態になっていないからであり、 僕が話せないのは、そのような状態になっているからです。 一般の人も自然に話す時はそんな緊張状態にならないのです。 でも人前で話す時は緊張して吃音してしまう人もいます。 誰にでも吃音は起こりうる症状なのです。


    よく吃音する人は、そんな、「吃音誘発状態」に陥りやすいだけなのです。 要するに吃音とは身体の状態の結果として表れる症状であるので、 身体がそのような状態にならなければ、吃音は当然起きないという事になります。


    吃音を治すには、身体がそんな「吃音誘発状態」にならないようにすることです。 人によってさまざまな理由で「吃音誘発状態」におちいります。 それが人前で起こる人は、「対人恐怖」であったり、 電話で話す時に起こる人は、「電話恐怖症」 「吃音が治らない」と言われてきたのは、単なる身体的矯正に終始したり、 人によってその恐怖対象が違っているので、グローバルな解決法は見つけにくく、 しかも恐怖症というのは、普通でもなかなか治りにくいものだからだと思います。 しかし恐怖症は治ります。よって吃音も同じアプローチで治るはずです。 恐怖症は潜在意識によるものが多いので、イメージトレーニング、催眠、 あるいは意識改革が必要になってくると思います。


    一人でいる時など、吃らない状態があるならば、 それが自分にとって一番完璧なお手本です。 その「吃らない状態」こそあなたの目標としている状態です。 緊張している状態と比べてみてください。 身体の状態はどう違うのか? どこがどうリラックスしているのか? 心のあり方はどうか。 身体をその状態にもっていくにはどうすればいいのか。 感じてみてください。


    (コメント:そのとうりだとおもいます.積極的に挑戦して,人生にも積極的に挑戦して下さい.吃音は,たとえば,深層心理のようなところで最初の原因があって,それが発達して「吃音誘発状態」を作りだし,その結果ではないかとおもいます.治し方に決まった形はありません.がんばって下さい.でも,がんばりすぎて自分を追い込みすぎないようにして下さい.)


  3. ヤスノリさんの体験談ー精神的な安定が吃音を治すー


  4.   小学生のころから吃音でした。友人、家族と話す時は、多少吃ってもコミュニケーションに差し障るほどではありませんでした。しかし、銀行、お店など、言い換えのできない特定の単語(氏名、住所、注文をする物の名前など)では非常に困難を感じた経験が数多くあります。



    小学生のころ、吃音矯正教室に卒業するまでの2年近く通いました。その後は、「吃音の克服」という本、確かパンライバー博士の翻訳本だと記憶していますが、大変影響を受け、それまでの精神的なコンプレックスから少し開放されました。その後現在に至るまで、多少の波がありながら少しずつ改善されている気がします。



     現在、大学の助手をしており、大勢の学生の前で話さなくてはいけないことがよくあります。そのような場合、一言一言を意識して、口をはっきり動かすなどして話すと9割方は、大丈夫です。しかし、どうしても発声できない単語があったりすることがあり、その場合は、黒板にだけ書いて少しごまかしてしまうこともあります。


     私自身、吃音が改善している原因には、精神的な安定が大きいと感じています。私自身、仕事の面では、高校の時から好きであった生物学の研究を助手という立場ながら続けることが出来、個人的にも妻と3人の子供に恵まれています。少しでも参考になればと幸いです。




    コメント:  何かに没頭することがいつのまにか吃音を主ではなく副の立場においやり,その過程で没頭している事柄に対して自信が生まれ,それがまた,生活環境を良い方にうごかし,精神的安定が少しづづ増していって,いつの間にか吃音が改善されるのではないでしょうか.当然その間に話をする機会がたくさんあったと思いますが,これもこの自信が牽引役になって少しづつ改善されていたtのではないでしょうか.これだと吃音で自分を追い込むこともないですし.





  5. ”まやー”の吃音体験記

  6. 前略 興味深く拝見させていただいてます。 私(みんなそうだと思いますが)、は、吃音の事は自分の中の最もナーバスな部分なので、人とどもりについて話した事が殆どありませんでした。改めて、同じ悩みを持った方々の意見を読むと、身にしみる共感を覚えます。

    一度だけ、ある例会に参加させていただいた事はあるにはあるんですが、自分がどもりであることに対して、自意識過剰になってしまいそうでしたので、行くのをやめてしまったんです。その集まりにいらした方々からは、”自分(わたしのことです)のはどもりのうちに入らないよ”と言われました。

    そうはいっても、中高生の頃の国語、単元の初回はかなり辛いものがありましたし、26歳の今になっても、会社の電話恐怖症になった事は数知れずです。(笑)
    わたしは、10代の頃に比べると、かなりどもりが治ったほうだと思います。
    自分なりに何故良くなっていったかを考えてみましたので、お役に立てれば幸いです。







  7. ”ウルトラの父吃音経験記”
  8. ドモラーズHPに投稿されたのを再掲させていただきました. 原文はBBSを通した対話形式ですが,ページ数の関係でウルトラの父さんだけのものをのせさせていただいています.


    1. ベテランドモラー参上 (1999年8月11日)
      みなさん、初めまして、私は47歳の現役ベテランの ドモラーです。3日前に偶然このHPを発見して 驚愕と共に何とも言えないうれしさに半分涙を浮かべて 過去のログを読んできました。こんな世界があったなんて それこそ時代の変化を痛感するとともに、ここに参加している 若い方達に、私が経験した色々な事をお話しして、少しでも 悩んでいる事の救いなり手助けなりできればと思っています。 参考に自分の事を簡単に説明します。



      小学校の5年生頃から始まり、中学時代2度自殺しようと家出を しました。死ぬ勇気が無く、帰って来ましたが、高校時代に 素晴らしい先生に出会いどもりと戦う勇気をもらいました。 それ以降勝ったり負けたりしながらも、うまく付き合う方法を 少しづつ体得しながら、大学、就職、恋愛、結婚と普通の人と 同様の人生を歩み、現在、2人の子供を持ち、都内に自分の家を 持っています。仕事はみなさんも良くご存じの有名な大会社の 本社の部長職として働いています。世間から見れば普通の 成功者ですが、これまでの道はどもりでなくては絶対に 判らない、苦しい道でした。今後少しづつその話をさせて下さい 質問もあれば、応えられる範囲でお応えさせて頂きます。 最初から長文で大変失礼しました。


    2. さっそくの反応ありがとう

      みなさんの関心の高さに改めて驚きました。
      私が高校生の頃ウルトラマン全盛時代でした。そのテーマソング にウルトラの父が出てくるのですが、みなさんの父親と同じぐらい だろうとおもってこのネームにしました。

      >ランドルトさんへ
      新人の時一番考えていたことは、何かで会社NO1 になろうと思ったことです。元々大きなハンディを 抱えているのですから、この事では会社で一番だな という評価をされる事が重要です。私はプログラマー の仕事をしていましたので、頼まれたらいかに早く 仕上げるかに最大の努力をしました。その結果半年後 私は会社で最も早くプログラムを作れる男という評価を もらい、関係する色々な部署からご指名で仕事が来るように なりました。これがその後の評価に大きく影響したのです。 電算部に**あり、と評判になっていればどもっているからと 配置転換など上司は絶対にできません。

      新人はまず自分の名前を売って下さい。それがどもりを ハンディにさせない力を発揮するし、なにより自分の自信に つながります。

      まわりにも、どもりの課長が2名いますが、一人は会社の 事務処理について生き字引と言われ、重宝がられています。 もう一人は元々コンピュータの基本ソフトの大家だったのですが 今ではインターネットの神様と言われて大事にされています。 何かの一番になりましょう。


    3. どもり宣言

      これから就職試験を受ける学生さんへ

      私が以前就職の面接官をしたときの経験ですが、 一人どもりがいました。自分がそうだからすぐ判りました。 その人は下を向いて固まっていました。これではダメだと 思い、こちらから「あなたはどもりでしょ?」と聞いたら 何だかうれしそうな表情を浮かべ、その後はどもりながらも 明るく応対してくれました。もちろん採用合格させました。

      どもりに悪い人はいない、みんなまじめで、誠実な人です これは私の勝手な持論ですが、みなさんそう思いませんか?

      ちょっとしたきっかけで緊張をほぐせば本当の姿が浮かんできます。 これから面接試験を受ける方はどうか、明るくどもって欲しい できたら自分はどもりであることを宣言してもいい、その方が ずっとさわやかで好印象ですよ。問題は話す中身。きちんと 考えを整理して、うまくしゃべろうとしないで、伝えたいことを はっきり話して下さい。

      ”吃音のごまかしという発言に答えて”

      私もそうですが、だんだん年を取ると誤魔化すのがうまく なるのか、本当に忘れているのか、自分が熱弁をふるっている のに気が付く事があります。たぶんどもらずにスムースに話して いるようです。話の内容に集中すると忘れるみたいです。 


    4. 電話マスター法

      しばらくインターネット環境の無いウルトラの星 に帰っていたのでご無沙汰しました。
      相変わらず活発な様子でうれしいですね。
      さとさん、かなりいい線でご理解していると思います。 吃音は「癖」の一種、「癖」なら治せる、心理的影響との 関係が深い、このご意見。全く、賛成です。

      私が新入社員の時の電話との戦いは慣れることで こなしました。プログラムの仕事の傍ら、全国の支社から 電話で入る見積もり依頼に対してコーディングシートへ書取り、 パンチャーに渡してデータ化し、電算機を回して出た結果を 電話で報告すると言う、電話嫌いにとって地獄のような仕事を 任されました。1日に何十本、百本近い電話のやり取りでした。

      しょうがないので、最初は旅館に空き状況を聞いたり、 公共の場所に住所を聞いたりして、電話そのものへの 恐怖心を無くすことから始めました。深く息を吸って ゆっくり吐く、この時どこにも力を入れずにゆっくり話す。 相手は知らない人だし、こっちも名乗っていないので 気は楽です。これだけでも電話への基本的な恐怖心は だいぶ納まるし、うまくしゃべれる癖を付けるのに 効果的だったようです。

      後は慣れ、毎日の事で半年もやっていれば 慣れてしまいます。勿論時々どもっているのでしょうが、 とにかく忙しいので、気にしている暇などありませんでした。
      今でも慌てるとどもりますが ゆっくりしゃべる癖を思い出せば途中から復活できます。

      電話嫌いなどもりの新入社員のみなさん、避けないで ぶつかって下さい。積極的に電話して慣れて下さい。 これしか克服する手段はありません。


    5. めざせ、幸せなどもり

      不幸などもりと、幸せなどもりについて考えて見ました。
      *不幸などもり
       1 周りにどもりであることをひた隠している
       2 電話や朝礼などイヤなものから逃げ回っている
       3 常に心の中は根拠の無い不安感にさいなまれ何をするにも自信が無い
       4 人と対した時、自分がうまくしゃべれるかだけを考えている

      *幸せなどもり
       1 ある程度の親しい周りの人に自分がどもる事を話している
                         −−−自分の心の解放
       2 イヤなものは攻めて攻めて克服し、何とかこなしている
                         −−−自分への挑戦の心
       3 明るく元気であり、自信に満ちている−−前進への積極性
       4 人とのコミュニケーションはまず、相手の「心」を聞く事と心得ている
               −−−人間の原点

      いかがですか、みなさんもどこかの項目に該当するでしょう。 一つでも多く幸せなどもりの項目になるよう努力したいですね。

      さとさん、yousukeさん、私はこの幸せなどもりの状態に自分が 到達することが「結果」ではないかと思います。 仕事の結果も後を付いてくると思いますよ。

      幸せなどもりになるための「過程」は自分の心との葛藤の日々です。 水戸黄門の主題歌も「人生楽ありゃ苦もあるさ」と言っています。

      敵はあなた自身ですよ。姿勢を正して、肩の力を抜き、下腹を締めて 大きく息を吸って、ゆっくり吐いて下さい。
      明るい明日が見えませんか?


    6. 楽しい=幸せ???

      ちんねんさん
      おっしゃる通り、どうせやらねばならないイヤな事は一番最初に やってしまう、と言うのが私の流儀です。夏休みの宿題は いつも、最初の一週間でかたづけていました。
      どもりもイヤな事ですが、気にしなくなることへの努力は 積極的にやるべきですよね。

      <さとさん
      どもりの本能としてどもることを隠そうとしませんか これは、悲しい習性ですが、できれば知られたくないと 思うからではないでしょうか。
      親しい友人に私が告白(オーバーな表現ですね)するのは その人を信頼しているし、大事な人だからこそ 隠し事をしたくないからです。
      自分の真の姿を知っていて欲しいと思うからです。 自分の心の解放とはそういう意味です。
      話してしまえばその後は、どもっても恥ずかしくないし 変に取り繕うとする必要もありません。
      そもそも決心して話しても、相手はぜんぜん気にしていない というのが、現実です。

      それから、イヤな事をしているとき、楽しい訳はありません。 つらいです。でも努力するのです。幸せを求めて。
      人間だから。

      「楽しい=幸せ」ではないですよね。人間は幸せになりたいから 毎日つらい努力をするのです。何が幸せかはその人だけのもの、 人によって様々です。
      楽しいからってゲームばかりやっている学生の将来が 幸せなものになるでしょうか?
      喜怒哀楽はその瞬間の感情です。目標ではありません。 自分の目標を定めてつらい努力を日々行うことが 人間らしく生きるということではないでしょうか。 話が難しくなってすいません。


    7. 私の結婚式

      私がまだ20歳代だったころ、たぶん自分は結婚できない だろうと思っていました。
      その頃結婚式といったら神前かキリスト教でしたが、 どちらも宣誓なるものを行うのですが、多くの人の前で 緊張状態でそんなこと、考えただけでも恐ろしい事です。

      結局3人の女性と結婚寸前までいって別れていました。 最後は私の決断がつかなかったからでした。 そして30歳になったとき、どうしても一緒になりたいという 本気で惚れた相手と出会いました。そしてその女性は古い 価値観にとらわれない、斬新な考えを持った人で、スイスの 教会で二人だけで結婚式をやりたいとか言い出すほどでした。

      そこで考えたのが人の前と書いた「人前結婚式」でした。 おなじ合唱団のメンバーなので、仲間の中から生まれた「愛」 だから、神様ではなく、みなさんに結婚を誓うという 主旨にしたのです。

      両方の両親への説得は困難を極めましたが、二人の固い決心と まわりの仲間達の支援で、双方が折れて実現しました。 そして宣誓は言いやすい言葉を選んで文書を自分で考え 二人で唱和したのです。唱和は合唱に近くどもらないでできます。 本番は大成功で、立会人に婚姻届にその場でサインしてもらって 結婚式は終了、あとは披露宴です。合唱団主催だから音楽会の ような披露宴で呼んだ親戚や上司も楽しんでくれました。

      以降、合唱団ではこの方式がブームとなり、これまで30組ほどが 誕生し、離婚した組はまだありません。

      一つの例として、今、結婚式で悩んでる人がいたら 参考にしてください。



    8. 私はこんな人

      少し私の自己紹介をします。
      外見は身長183cm 体重80kg ちょっと太めでがっしりタイプ。人からいつも姿勢が非常にいいと誉められるので、身長のせいもあって堂々と自信に満ちているように見えると言われます。中身はいつもどきどき者なんですが、外見がカバーしてくれているようですね。

      顔はよく「おだやかな顔ですね」と言われます。初めて一人で飲み屋に入ると、銀行員か先生ですかと聞かれる雰囲気です。人に自慢できる事と言ったら歌がうまいぐらいですか。会社の関係の結婚式やら新年会などでも、必ず歌わされます。

       私の信条は「正直に、誠実に」そして「人の為になることをする」が私の人生観で、会社も仕事もそれに沿った事をやっていて他人との関わりでもいつも人の為を思って接しています。

      今でもそうですが、結果的に周りから多大な信頼を頂いており一部女性陣からは「駆け込み寺」とか「お兄ちゃん」とまでいわれて、様々な方からの相談事に応じています。

      人によく言われるのは、
      悪口や陰口を決して口にしない人。
      秘密は完全に守ってくれるので安心な人。
      自分のことを真剣に心配してくれる人。
      そばにいるとホッとする人。

      これって我々ドモラーにとって当たり前の事ですよね。だからあなた方にも十分当てはまるはずです。 
      私は合唱団やら地元の人間関係で若い女性が周りに大勢いたということも環境として恵まれていたのでしょう。

        こんな所ですか。極力自慢話にならないように気を付けたつもりですが、そう感じたらごめんなさい。


    9. 相手の「心」を感じられるドモラー

      "やなさわさんの「どもりになったからこそ相手の気持ちを大切にするよう努力をしているのではないか…。」にこたえて"

      今日は、新しい仲間ですね。
      そう、私ももし自分がどもりでなかったらどんな人間に なっていたかと考えた事がありました。
      話すことにハンディがあるからこそ、人が話すことに人一倍 注意を向けているのかなと思います。なぜこの人は今、この 話をするのだろうかと相手の「心」に聞き入っているのを 感じます。 これが結果的に相手の心を大切にする事に なります。

      私の女性の友人ですが、遊びが好きで若い頃は飛び回っていた ノー天気な子だったのですが、結婚して子供が産まれたら 先天性の未熟児で5歳でも話もできない子供ができました。

      最初は運命を呪ったそうですが、今では逆に人一倍生きる事の 大事さを感じていると話してくれました。自分の子供が私に そのことを教えてくれた、と語っていました。
      それを聞いたとき、その女性の成長ぶりに驚いたものでした。

      ひしひしと感じることができるのでしょうね。
      相手の「心」を感じられるドモラーに生まれて、かえって よかったのかもしれませんね。






  9. ”ペロさんの「治してみせよう、ほととぎす! 」(99年9月8日)”
  10. ドモラーズHPに投稿されたのを再掲させていただきました.


    1. 自己紹介
      はじめて、書きこみます。ペロ、男です。
      皆さんの日常の悩みや相談やその解決法などがたくさんあって、 前向きなパワーを強く感じています。

      さて、まずは自己紹介から。 僕は、以前はひどくどもってました。 そのせいか、人前で話すのがイヤでイヤで、それはもう苦痛の他の何物でもありませんでした。
      「これさえなかったら、目の前の世界が変わるのに・・・」, 「これさえなかったら、もっといろんな人と話す機会が増えるのに」, 「これさえなかったら・・・」と何度も思いました。

      そして、ある時、こう思いました。
      「自分は、こういう星のもとに生まれたのだ」と。

      そして、その宿命に逆らうことは自分の適性から外れるものであり、 そうして流暢にしゃべれることを望むことは、自分自身を 苦しめるだけであり、自分はこういう人間だと認識することが ある意味、必要ではないだろうか。 そう思ったことがありました。


    2. 何が何でもなおしてやろう

      しかし、自分には「しゃべりたい!」 ただただそういう思いが強くありました。
      「このままでは終わらんぞ!」
      「自分の人生、楽しんでやろう!」
      「そのためには、何が何でも治してやろう」
      「ここから、自分ははじまる!」
      そう思いました。
      そこから、僕はこのどもりという悪癖を治しにかかったのです。 僕自身、話はいろいろ聞いていました。 腹式呼吸をはじめ、様々な方法があることを。 実際、僕も、耳鼻咽喉科に行って、専門医の話を伺いました。 これは非常にためになりました。 発声方法です。 しかし、それだけではなんの解決にもなりません。 だって、どもるのですから。


    3. 強く思うこと,強い願望

      どもりが治る人と治らない人とは言いません。 どもりが治る人とそのままの人と言いましょう。 その違いは何か?
      それは、願望と希望の違いです。
      「こうだったらいいなぁ、こうなりたいなぁ」 これが希望です。 これでは、いつまでもそのままです。
      強く思うこと、これが願望です。 絶対にこうなってやるという強い想いです。
      強く思えば、工夫し、失敗し、そして反省できます。 これを繰り返すことで、確実にステップアップします。 反省しない人はずっと同じ失敗をするから。 少なくとも、自分はそう思います。 苦しんでいるだけじゃバカですよ。 工夫しなきゃ。自分の人生ですよ。 そこからはいあがらなきゃ。

      実際、図書館や書店でどもりについての本を読みました。 しかしどの本にも、まだどもりの正確なプロセスは 発見されていないと書いてあり、あとはクリニックの紹介と 治療の訓練法(本によってまちまち)が載っているというものでした。
      いろいろ読みましたし、いろいろ試してみましたが、 「何かちがう」って感じたのです。

      確かに、そのように訓練したら、もしかしたら快方には向かうかも しれませんが、自分が納得できるレベルまで治るかと疑問に思ったのです。
      みなさんは、そうなったらいいなぁという希望と、それに対するメソッドを知っただけでとまっていたりしませんか? 又はその訓練法を実践されているだけではないでしょうか? そのうち治るだろうってくらいなら100%そのままです。一生。

      僕はそんなのごめんです。 意地でも治してやると思ったのです。 そして、なぜどもるのか考えました。


    4. 発声法と気を強くすること

      皆さんはどもる時、またはどもりそうになる時に 心臓がドキドキしませんか? 胸がバクバクしませんか?
      これがないっていうのはウソだと思います。 これがあるからどもるのです。
      じゃどうしてドキドキするのか? それは、気が弱いからです。肝っ玉が小さいからです。 皆さんはどう思われますか?
      皆さん、治すためのメソッドやどもりであることの認識について 考えることがほとんどで、 肝心要の、なぜ自分はドキドキするのか考えましたでしょうか?

      僕は、そこに原因があるのだと思いました。 医者のいうメソッドがたくさんあるためにこの問題の解がたくさんあると思いましたが、そのようなN次方程式なんてものではなく、 いたって簡単な問題なのです。
      カギは2つです。
      発声法と気を大きく持つことです。
      しかし、どもりを治すのに必要な度合いは 前者が1に対して、後者は9くらいです。 発声法については、僕の場合は軟気声という方法で訓練しました。


    5. 気の弱さをなくすには

      そして気の弱さをなくすことに全力で取り組みました。
      いつも思っていました。 「どうしてこの人の前で自分はどもらなきゃならないんだろうって」 どうしたらういいのだろう?

      そしてその解が暗示でした。 自分はどもらないというようではどもるという言葉を否定しているに すぎません。 「自分は話せる!」「最初はゆっくりだけど話せる!」って なんども自分に言い聞かせました。
      純粋に暗示です。 手のひらにマジックで書いたこともありました。 強く思うこと。 これがカギです。

      僕はこの方法でかなり克服できました。 多少は自分でも言いにくいと感じることもありますが、 普通の方から見れば、まったくわからないって言っています。
      暗示というと、すごくアバウトな感じがしますが、 僕の場合、この問題をつきつめてみて、原因を見出した後、 この方法にたどりつきました。 でも、効果はかなりあります。


    6. 治療の前に自分を見つめ直す

      変な治療法をあれこれ試す前に、「自分」を見つめなおすべきではないでしょうか。 そこから始るのだと思います。
      「おれは話せる、ゆっくりだけど話せるんだ」って暗示をかけることで、気が付くと、何でも思ったことをしゃべっている自分がいました。

      最後に、ここまで読んでいただき、ありがとうございました。 どもっている人って、いろいろ気にしたりされたりするので すごく相手の気持ちを理解できる人だと僕は思います。 それはその人自身が苦しい目にあっているから。 だからこそ人の気持ちもわかってあげることもできるし、 まっすぐに物事をとらえる素直な心の目を持っているのだと思います。そんな熱い人だと思います。

      今度は、今まで目をそらしてきた自分の問題の核心部にまっすぐに 取り組みませんか? そこから、一歩踏み出すこと、そのために強い願望を持って、 自分を見つめることができた時、解決の扉が開かれると思います。

      長々と書いて申し訳ありません。 不適切な表現もあったかもしれませんが、 この掲示板には思ったことを飾らずに書こうと思いました。 みなさん、がんばろう! しゃべれるっていいですよ!

    コメント:  そうなんです.この考え方こそ重要です.もう治ったも同然です.そうしているうちに「暗示」することを忘れてしまって治ったこともわからなくなったとき完治なのです.






  11. ”KYMさんの吃音克服談(99年12月28日)”
  12. keikasa言友会会議室"井戸端会議"に載せられていたものをkさんの好意で掲載させていただきました.



    −−S.S先生との思いで−−

     私は中学生の頃から武術の修行ということで町道場に通いました。
    切っ掛けは吃音で馬鹿にされ喧嘩になった時、相手が柔道初段で負けてしまったから です。
    悔しかったですね。
    それで学校の帰りに週3回、空手と少林寺の道場に通いました。
    中3の頃には、2cmの板を5枚重ねて楽に割れました。
    卒業式の前にきっちりその柔道マンにはリベンジしましたが、以来、折に触れ、 試し割のデモンストレーションをやったりしたせいか余り馬鹿にされることはありま せんでした。
    今考えますとアホな話ですが、丁度『燃えよドラゴン』の公開の頃でしたので、 その追い風もあったようです。(笑)


    大学の頃は大阪にいて例のS.S先生の道場に居りました。
    当時全く無名だった先生に吃音を相談しましたところ、
    「相手によって話せたり話せなかったりするのは、中心力(胆力)が出来ていないか らだ。相手にのまれなければ大丈夫だ」ということで、就職の面接試験用に「試験官に飲まれない方法」を教わりました。
    これも結構笑える方法なのですが、武術的には一理あるようです。

    1. 面接室に入ったときに部屋全体を見渡す。(視界を維持する)
    2. 部屋の状況を詳細にチェックする。(アガルと視野が狭くなる為)
    3. 試験官が強そうか弱そうか一人づつチェックする。
    4. 強そうな奴からイメージの中で、出来るだけリアルにボコボコにやっつける。
    5. 全員倒したらニコリと笑う。
    6. 質問される都度に相手をイメージの世界でぶちのめしてニコリと笑う。


    以上、S.S流「面接試験必勝法」でした。(爆)




    S.S先生の道場に寝泊り(先生の寝袋で応接室に寝てました)させて頂いてたの は、先生にとっても便利だったからでしょうね。(笑) 当時先生は、志賀留という日本名を使っていました。時々、先生が夫婦喧嘩をするときなど、二人で冷たいご飯にお新香を乗せてお茶をかけるだけという食事をお付き合いしていました。私が「やられ上手」でしたので、つまり受身がうまいということですが、 先生が弟子達にお手本を見せる時にはいつも私が相手を努めていました。

    先生の言葉で今でも覚えているのは、
    「男は絶対に夢を捨ててはならない。
     夢を放棄することはその可能性を手放すことだ。
     人生には幾つかのチャンスが必ず巡ってくる。
     それを掴む事が出来るかどうかは日々の弛まぬ努力にかかっている。」

    先生は毎晩のようにシナリオを書いていました。奥さん始めみんな「またやってるよ」とバカにしていましたが、私と映画に行くたび に 「僕は必ずハリウッドでスターになる」 と言っていました。演技の練習など一度もしたことが無いのに。
    いつも二人でいましたので、先生のお昼のソバ代も私が連日払っていましたが、 まさか本当にスターになるとは思いませんでした。
    本人は「当然」と思っているかもしれませんが・・・。




    もうひとつ無名時代のS.S語録から。

    1. 人間の器というのは、貴方が勝手に決めているのだ。
    2. ここまでしか出来ないと自分で限界を決めたとき、  貴方の器もそこで決まってしまう。
    3. 人間に無限の可能性があること理解しないと  貴方の人生の道は開かれはしないだろう。

    だそうです。

    「努力が報われないのは、努力の方法が適切でないのだ」

    この言葉は先生の好きな言葉のひとつでした

     実は今を遡る21年前、吃音について先生に相談をしたことがあります。 そしたら、「僕も小さい頃そうだったんですわ」と言われました。
    先生の日本語はおかしな関西弁でしたのでいつもこんな調子です。
    「え、先生も吃音だったんですか?」と驚いた私は、どうやって治ったのかしつこく 聞きました。当時は毎日、治すことを考えていましたので。

    先生によりますと、軽度の吃音があったけれど、気がついたら治っていたとの事。 先生は、ユダヤ系アメリカ人で小さいときからとても背が高く痩せ型(電信柱型)で した。後日鍛えて筋肉質になりましたが。
    気の弱さを克服する為に、武道の世界に入ったそうです。
    よく、プロレスラーが「子供の頃はいじめられっ子だった」と、雑誌のインタビュー に答えているのを読んで、「うそや」と思ったものですが、身体の大きさと気の強さは 関係なさそうですね。
     開祖の植芝翁が米国で演武したときにすごく感動し、直ぐに日本へ来たそうです。 ブルースリーとも練習したとか言っていましたが、これについては?ですね。



    結論は、直接的に吃音を治そうとしたことはなく、武道の修練により自信が高まった ことでいつのまにか治っていたとか言っていました。先生の修行した頃は、開祖も生きていて少し神懸かった練習をしていたようです。今の合気道とは別物ですね。 特に、古神道的な合気の呼吸法に「気を練る力」があるとかで、私も随分やらされま した。先生は、「治す目的での治す努力」はしていませんが、強くなる目的での「努力」をしたわけです。つまり、技術的には全く同じ種類の練習をするわけですが、やる目的が違うのです。
    「治す目的での治す努力」は常に吃音を意識しています。
    先生の場合は、吃音に関係なく「努力」することで、日常的に吃音を意識しつづける 事がなかったと思うのです。

    その話を聞いたとき、私自身かなり閃くものがありました。その日から、私も考えを変えて「治す目的での治す努力」をやめました。毎日日課としてヨーガとか気功とか合気道とか、それまでと同じ練習をやるのですが、目的の持ち方だけを変えたのです。
     「治す目的での治す努力」ではなく、「治す目的を離れた(忘れた)治す努力」とでも言いましょうか。 ここのところは、結構キーポイントだと思います。

    吃音を克服できたときは、吃音を忘れた状態だと思うのですが、治すことにこだわり 過ぎてその事にいつもとらわれていますと、つまり忘れることが出来なくなります。



     例えば、自律訓練法をやる場合でも、吃音の治療を目的として位置付けずに、ストレ スの解消とか自分自信へのいたわりとか心の癒しといった目的でやったほうがよいように思います。
     やることは同じでも、「質」的な違いは大きいと思うのです。「治す目的での治す努力」にこだわりすぎることは、結果として、「治す努力の否定」と同じく、よい成果を期待できないでしょう。陰きわまれば陽になる、と中国でも言っています。

    >まず、大事なことは「適切な方法」を見つけることですね。
    >「治す方法」なり「楽になる方法」なり。
    >セルフヘルプグループとしては、一人一人が自分なりの「適切な方法」を >見つけていくために相互に助け合うことが重要ですね。

    吃音治療においての「適切な方法」とは、技術的には幾つかあると思いますが、その 時の目的意識と言うか、心の持ち方、アプローチのスタンスなど結構心理的に奥の深いものだと考えています。
    禅の世界では、「悟りを得ようと躍起になっている間は悟りは得られない。」らしい ですが、悟りを得ようとする努力を全て否定してしまったら、「買わない宝くじはあたらない」というのと同じ結論になりそうです。

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    KYMさんは東京の大学にいながら大阪に行っていろいろな経験をされた方です.本人は「どうして吃音が治ったかわからない」といってますが,生まれた場所を離れて大阪に行き,住み込みで空手,柔道,ヨーガ,気功と,合気道などを,人の間でやれば吃音は治っていきます.吃音をもったままで自分のやりたいことをどんどんやっていく.このことが大切です.(Hero)





  13. 靖さんの「吃音がいつの間にか治った」


  14.  いつ頃吃音になったかわかりませんが,小学年低学年の時「靖ちゃんみたいな人は歌がうまいのだよね」といわれたとき,「靖ちゃんみたいな人ってどういうことだろうと」思ったのを憶えていますので,すでにこのころ私は意識してなかったけれど吃っていたと思われます.その後,小,中,高等学校は「本読みの地獄」みたいなところであったし,店では買いたいものを言えずに,また,電車では駅名を言えず赤っ恥を書き,引っ込み思案な地獄のような毎日を送っていたのです.吃音期間はわかっているだけでも30年間.永い苦闘の歴史です.それが今ではすっかり治っています.

     どうして治ったのかいつ治ったのかは明らかではありません.吃音とは,いつなったのか,いつ治ったのかがわからないもので,いつ治ったかわからないことが,実は完全に治った証拠のようなものだと思います.


     それでもなぜ治ったのかを考えてみますと,自分の好きな道をがむしゃらにめざし,そのことで吃音のことなど考えていられないような絶体絶命の状態に立たされ(自分を結果的に追い込んだ),それを必死で解決していくうちに治ったのだと思います.その間には,失敗体験,成功体験がたくさんありましたが,失敗は現実の世界をみせてくれ,成功体験は自信をあたえてくれました.その間吃音は大きな問題ではありましたが,それ以外の大きな問題を解決するために吃音のことは自然に第2ランクまで落ちていたように思います.吃音とは治そうとばかりしている間は治らず,なおしたいと思いながらも意識せず,他のことに一生懸命打ち込んでいるうちに治るもののようです.


      次の人生哲学みたいのものも大きく関係しているかもしれません.
    1. 自分の信ずる道,好きな道を進むこと
    2. 夢を持ってやってきたこと
    3. 「すべてのことは努力次第で何とかなる」,「なせばなる,なさぬは人のなさぬなりけり」ということを信条にして努力,努力でやってきたこと
    4. できないことがあっても卑屈にならず決してあきらめなかったこと
    5. 自分には自分の人生があり,他の人には他の人の人生がある.それは必ずしも一致しないのが普通の姿であるとおもっていたこと
    6. 人はみな同じではない.しかし人は皆平等であること.それゆえ,人には得意不得意の分野があり,自分を生かすためには自分の得意な分野を生かさざるを得ないこと
    7. 親や親族から完全に離れて一人きりになることで,すべてを自分自身でやらざるを得ない立場になったこと

     結局,吃音の本質は言葉の問題ではなく心の問題であるような気がします.いかに自分を生き生きさせるか,生き生きさせるには,そのまえに越えなければならない苦闘のがあります.そして大きな志を持ちながらも,現実を一歩一歩あるきつづけ,成功体験を少しでも多くすることが大事なような気がします.



    コメント:  吃音の治し方を考えると,”いかに人生を生きるか”みたいになってきますね.吃音と無関係によんでも十分ためになるようです.





  15. ”私的吃音克服論”(2000年2月20日)
  16.  この項は「ドモラーズ」掲示板に投稿されたものを「彼の生き方」さんの好意によってここに掲載させていただいています.



    1. 【吃音と非吃音】
       まず大前提として、「吃音者と非吃音者の違いなんてものは本来、存在しないのだ!」という事実からスタートしましょう。

       会話時の言葉の難発もしくは連発が、「どもり・吃音」といわれている現象なわけですが、普通の人が話しているのをよく聞いてみて下さい。彼らも言葉に詰まったり、連発したりすることはあります。また、彼らとて吃音緩和語=「えーと・まあ・あのう」を頻繁に用いています。では、彼らとわたしたち吃音者の違いはどこにあるのか? ここが重要なのですが、最終的には自分が、自分自身のことをどもりだと思っているか否かに行き着くのではないかと思うのです。

       どういうことか。わたしを例にとってお話しましょう。わたしは吃音者、もしくは吃音克服者だと自分では思っています。でも、一般的にいわれている吃音者とは性格が少し異なり、やたら積極的なわけです。大学で「質問がある人」と尋ねられなどしたら、まっさきに挙手するタイプです。どもるか? どもりません。発表も自分から率先してやります。おそらく何百人もの聴衆を前にしても、平気で発表できるでしょう。それも非吃音者よりも遥かにうまくやれる自信があるし、実際、最近やった発表はそうだったと自負しています。電話も大丈夫。就職活動の電話では一度もどもりませんでした。先日、意を決して「自分はどもりで、そのことについて悩んでいる」ということを、友人・知人に話してみました。9割が、気づいていなかったと答えました。もちろん、その中には善意のウソをついてくれた人もいるかもしれませんが。そう、驚くことに、「どもり」という言葉を知らないという人までいました。そんなものなのです。とにかく、結果はそんなものでした。

       無論、むかしからこうだったわけではありません。わたしはわたしなりに吃音を克服したわけです。ここで、克服の話はひとまず置いておいて、どもりというコンプレックスの本質を考えてみたいのです。吃音と非吃音の区別に疑問符がつけられた今、「わたし」にとってどもりとは何なのか? わたしは周囲から吃音者と思われてはいませんが、それでもやはり素直になれない部分があるのです。それは何か? そのことを考えることが、吃音克服に結びついていくと思うのです。



    2. 【コンプレックスとしての吃音】

       「わたし」にとって吃音とは何か。列挙してみます。

      @なにか新しいことを始めようとするとき、どもりから生じる不安感でなかなか踏み出せない。

      Aなにか失敗をしたとき、どうしてもその原因をすべてどもりに押しつけてしまう。つまり、もしどもりでなかったら、自分は成功していただろうと考えるわけです。

      B自分はどもりだから、なにをやってもダメだという無力感・諦観に襲われる。

       @〜Bこそが、どもり・吃音の本質だとわたしは考えます。これは何も吃音に限定したことではなく、いわばすべてのコンプレックスに共通する性質なのです。どうでしょう。
      心当たりはありませんか。そうは思いませんか。吃音とは発音障害であるだけではなしに、個人の生き方の問題だとわたしは思うのです。もっと言わせていただくと、発音障害などは、まさしくただの氷山の一角。問題にすべきものは、その下に潜む巨大なもの=個人の生き方ではないでしょうか。

       しかし多くの吃音者はそこに目を向けようとしません。発音障害のせいで自分は何もできないのだ。そう視野を狭くするばかりで、あちこちの吃音矯正施設に足しげく通うのです。高いお金を払って通信教育や催眠術にのめりこむのです。結果、業者の腹は肥えるが、自分の吃音は一向に改善しない。幸運にも良くなったとしても、その業者から離れてしまうとまた悪くなる。

       それでも吃音克服への意欲があるのならば、まだ良いのかもしれません。自分のどもりはもうどうにもならないと、殻に閉じこもる。どうせどもりだから友人も恋人もできまい。一生、どもりにつきまとわれるのだ。もう生きていくのは嫌だ。そんな風に考えるようになってしまったら、なんと悲惨なことか。

       ここでこそ、原点に戻ってみたいのです。吃音の克服とはどういうことか? 誰が吃音の克服を決定するのか? 
       そうです。わたしたち自身なのです。他人から「あなたは吃音を克服しました」と卒業証書をもらうのではありません。さて、もう一歩、踏み出してください。あと一歩。どもりをなおすのは誰ですか? 自称・吃音克服の「善意の人」ですか? 吃音克服本の著者ですか? 宗教家ですか? 違います。あなたやわたしという一人ひとりなのです。

       他の吃音克服者の命令に忠実に従っても、おそらくあなたのどもりはなおらないでしょう。なぜならあなたの人生は、わたしの人生がそうであるように、あなただけのものだからです。同じ「生き方」などあるはずがありません。

       ――わたしはそう思うのです。いくら吃音理論に詳しくなったところで、いくら吃音治療にお金をつぎこんだところで、いくら人格者になったところで、吃音は克服でないのではないだろうか、と。




    3. 【吃音克服と欲望】

       権威主義に思われるかもしれませんが、わたしが興味を持っているユングの言葉を借りてきましょう。ご存知だと思いますが、ユングはフロイトと並ぶ偉大な深層心理学者です。彼はこう言っています。
      「コンプレックスは広義において一種の劣等性を示す

      ――このことに対して私は、コンプレックスをもつことは必ずしも劣等性を意味するものでないとただちにつけ加えることによって、限定を加えなければならない。コンプレックスをもつことは、何か両立しがたい、同化されていない、葛藤をおこすものが存在していることを意味しているだけである

      ――多分、それは障害であろう。しかしそれは偉大な努力を刺激するものであり、そして多分新しい仕事を遂行する可能性の糸口である」

       ――可能性である。ユングは言います。吃音は可能性なのです。

       わたしたちは吃音によって、人生に真正面から向き合うチャンスを与えられているのです。普通の人なら、あるいはだらだらと生きてしまうかもしれない人生に、より能動的に係わることができるのです。そうです。吃音とは生き方の問題なのです。吃音のせいで、やりたいことが制限されている。あなたは言うでしょう。わたしも言います。では、その「やりたいこと」は何なのですか? すぐに言えないのではないですか? 漠然と吃音が克服できたらば、すべてがバラ色になると思っているのではないですか? 

       一昨年の夏、わたしはインドに行きたくて仕方がなかった。しかし、どこか気乗りがしない部分がある。ほんと「なんとなく行きたくない」というぐらいの感じ。なぜか。そこを突き詰めて考えてみた。やはり吃音にたどり着きました。そういうわけで、インドを1ヶ月間一人で旅行したことは、「わたしにとっては」吃音克服の契機になったのです。たかがインドでというご意見もわかります。でも、わたしは自分の「やりたいこと」を、吃音という制限・障壁を越えてやったつもりです。大袈裟に聞こえるでしょうが、そういう「生き方」を実践したのです。余談ですが、インドで同い年の香港人の女のコと友達になって、一年後、つまり去年の夏、香港にも行きました。ああ、人生って思ってた以上にクソオモシロイなあ。そう実感しました。

       訊きます! 答えてください! あなたの「やりたいこと」は何ですか? もしどもりではなかったら、何をやりたいのですか? あなたの欲望は何ですか? それが吃音克服のカギになるとわたしは思います。思いきって、それをやってみてください。欲望に忠実に。「やりたいこと」がない。欲望がない。漠然とはあるが具体的ではない。そういう方はぜひご自分の欲望について考えてほしいのです。「自分はどもりだから……」ではなく。そして、つまるところ、それが吃音を克服したということだとわたしは思います。流暢に話せるようになることが吃音の克服ではありません。アナウンサーになりたいわけではないでしょう? 吃音に邪魔されずに、「やりたいこと」をできるのが吃音を克服した真の姿です!

       わたしの欲望。このクソオモシロイ世界を味わいつくしたいのです。未知なるものを征服したい。色々なもの を見て・聴いて・感じたい。あらゆることを経験したい。もちろん女にモテたい・有名になりたい・金持ちにな りたい、という三大欲望は強烈にあります。わたしもどもりのせいで、いじめられたことがあります。今に見て いろよ、という反骨心があるのです。実際、わたしは今でも、同年齢の男と比べたらば桁外れの経験量・読書 量・行動量があります。ほんと色んなことをやってきました。常にぎらぎらしています。

       そうなのです。そのエネルギーの源がどこかと考えると、やはり、どうしようもなく吃音なのです。吃音がわ たしの原動力になっています。どもりは障害・劣等感ではありますが、同時に豊かなエネルギーの供給源なので す。そして、これからのわたしの生き方は、この吃音とやらを克服していく過程にしたいのです。欲望とその実 現の連鎖にしていきたいのです。そう考えると、真底、自分が吃音を克服したと宣言できるのは死ぬ間際になる のかもしれませんが……。

       あなたとわたし、どっちが楽しい人生を送ることができるか。競争しましょう!



    コメント:  吃音によって人生を考えるきっかけをえる.吃音とは関係なく,ともかくやりたいことに第一歩を踏み出す,これが大切なのですね.がんがん主張し,がんがん実行する.
     それにしても,「吃音によって我々は何を見たくない」と深層心理で思っているのでしょうね.自分の恥ずかしがりやですかね? 自分が弱い人間だということですかね? それともプライドに傷つくことですかね????


  17. けいさんの克服談(掲示板から転記)
  18. 初めて投稿します。
    32歳主婦、3歳の娘がいます。

    私も皆さんと同じように吃音がひどくて、つらい思いをしてきました。 小・中・高とかなりひどい吃音でした。
    ・・・が、今は90%吃音が治っています。

    どうしてひどかったどもりが良くなったのか、また吃音になった原因を知りた くて、検索していたら偶然にこのHPを見つけました。

    私はとても感受性が強いです。両親にも言われてますし、私自信そう思いま す。 このHPに書いてある原因の1つでもある幼児の性格が、私の性格にドンピシ ャリで驚きました。 そして、吃音を軽くする方法・治す方法を読み、私そのものだわ〜と、再度驚 き ました。普段はペラペラと普通に話しができますが、今でも時々はつまったり もしています。 でも、それを全く気にしていません。 恥ずかしいとも思いません。 23歳過ぎて吃音を意識しなくなってから、メキメキと良くなっていったよう です。

    このHPに書かれていることを、私は無意識に実行していたと知りました。 吃音を治す練習や努力、病院通いなど、一切していません。 本当に気の持ちようで治るんです。

    私はあえて、仕事に接客業を選びました。たくさんの人と話をするようになり ました。今では接客業が大好きです。

    アナウンサーのOさん(男性で前はフジテレビど〜なってるのに出ていた) も、 昔ひどい吃音だったそうで、彼もあえてアナウンサーを仕事に選んだそうで す。

    私は自分が吃音だということを、乗り越えたのだと思います。 相手に自分の名前がうまく言えなかったとしても、不思議なほどに気にしてい ない私がいます。そのように失敗を意識せずに生活していると、その次には普 通に言えるようになってくるんです。

    前向きで、明るくて、元気な私が吃音を治してくれたのかな〜と思います。 みなさん、お互いに前向きにがんばりましょうね。



  19. フミオ2001 参考にして下さい(掲示板から転記)
  20. いよいよ21世紀ですね。 吃音のほうがほぼ完治の方向に向かって  いるので、自分の体験談などをいくつか紹介したいと思います。

      まず大切な事は、しゃべることを好きになること。好きな事は伸びま  す。次になりたい自分を明確にすること。しゃべるという行為を自分  に必要なものであると肯定的に受け入れるためです。そして、結果を  悔やんだり、恐れない事。どもるのは、結果です。原因ではありませ  ん。結果を気にしても時間の無駄ですし、問題の解決にはなりません  。後、人を信頼し、祝福できる人間になること。人間として大事なこ  とですね。

     技術面でいうと、呼吸法が大事。これで、しゃべり始め  のあ、あ、あああああー!もある程度対処できます。いくらか息をぬ  いてからしゃべる癖をつけたほうがいいですよ。自然な流れの中で、  しゃべる感じ。あせらず、呼気の後にしゃべる。みんなだいたい、息  を吸ってーハイしゃべるー、ハイ止まったって感じじゃない?ちょっ  とわかりにくいね?いくらでも、多くの人がよくなることを祈ってま  す。


    2332. 自転車 フミオ  2002/04/14 (日) 19:47

     ここ3年くらいでゆっくり吃音が改善してきたわけだけど、最近は いいペースで改善しています。最近はどもらないだけでなく、流暢に 前よりもずっと落ち着いた声で話せます。

     自転車乗ってると自分の変化がわかるんですよね。以前より確実 に全身の筋が場面に合わせて協調して働いている感覚がわかるん ですね。

     大切なことは、人生楽しむことですね。私は、吃音改善のヒントを 真面目に勉強してきたこと以外にも、ビリヤード、カラオケ、ギャンブ ル、友人関係などからも得ました。

     私がいいと思う心構え3つ紹介します。
    1.Do it. まず行え。
    2.Be an opportunist. 楽観主義者であれ。
    3.Have fun. 楽しめ。



    吃音克服経験談と吃音に関する主張 −その2−につづく