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吃音治癒体験談と吃音に関する主張 −その1−

- ぱっぱらー さんの意見
はじめまして、僕も吃音に悩む会社員です。
このページの「吃音は治る」という主張に大賛成です。
僕も小さい頃から吃音に悩んできて、親にも、「吃音は治らないから」
なんて言われて来ました。
よくこんな風に、「吃音は治らない」なんて安易に言う人がいますが、
勘弁してもらいたい気分です。
こんな事を言っていると治るものも治らないと思います。
このような人たちは一生吃音と共に過ごすつもりなのでしょうか。
言葉を喋る時にいつもドキドキと不安を感じながら生きていくつもりでしょうか。
僕は絶対お断りです。
社会人になって、自分の吃音と真っ向から対決しなければならないと感じました。
喋れないと色々苦労することが多いですから、
自分はいいとしても、他人に迷惑かけるようではいけません。
ですから、治る、治らないはまず置いといて、
吃音を直す努力をしてみようと思い立ちました。
僕が「吃音は治る」と考える根底にあるもの、それは、
「一人の時には吃らない」という事です。
一人の時でも吃る人は、発声の仕方が悪いのではないかと思います。
例えば自分もそうだったのですが、早口で、あせって喋る癖がついていたりです。
それは発声訓練などの矯正で治りました。
問題は一人のとき喋れるようになっても、人と喋る時吃ってしまうということです。
でも、一人のとき吃らないのですから、その状態で他人と接することが出来れば、
吃音は治るということだと思います。
僕は「吃音者」なんていないと思っています。
例えばここに足が悪くてよく転ぶ人がいるとします。
その人のことを、「転倒者」なんていうでしょうか?
例えば足が悪かったり、貧血でボーとしていたり
ドジで足がよくひっかっかったり、色んな理由で人は転びます。
すなわち転倒するのには理由があるのです。
そしてここが重要なのですが、どんな正常な人でも、
前のような転ぶ理由があれば、いとも簡単に転倒してしまうのです。
吃音にも同じ事が言えると僕は考えます。
自分が吃音状態にある時の事を考えてみました。
胸がいっぱいになって、心臓がドキドキし、喉は硬直し、頭は真っ白になります。
このような状態ではスムーズな発声なんて出来ません。
しかし例えばプロのアナウンサーであっても、舞い上がってしまって、
前のような状態になって息も吐けないならば、発声なんて出来ないのです。
彼らがスムーズに話せるのは、少なくともそのような状態になっていないからであり、
僕が話せないのは、そのような状態になっているからです。
一般の人も自然に話す時はそんな緊張状態にならないのです。
でも人前で話す時は緊張して吃音してしまう人もいます。
誰にでも吃音は起こりうる症状なのです。
よく吃音する人は、そんな、「吃音誘発状態」に陥りやすいだけなのです。
要するに吃音とは身体の状態の結果として表れる症状であるので、
身体がそのような状態にならなければ、吃音は当然起きないという事になります。
吃音を治すには、身体がそんな「吃音誘発状態」にならないようにすることです。
人によってさまざまな理由で「吃音誘発状態」におちいります。
それが人前で起こる人は、「対人恐怖」であったり、
電話で話す時に起こる人は、「電話恐怖症」
「吃音が治らない」と言われてきたのは、単なる身体的矯正に終始したり、
人によってその恐怖対象が違っているので、グローバルな解決法は見つけにくく、
しかも恐怖症というのは、普通でもなかなか治りにくいものだからだと思います。
しかし恐怖症は治ります。よって吃音も同じアプローチで治るはずです。
恐怖症は潜在意識によるものが多いので、イメージトレーニング、催眠、
あるいは意識改革が必要になってくると思います。
一人でいる時など、吃らない状態があるならば、
それが自分にとって一番完璧なお手本です。
その「吃らない状態」こそあなたの目標としている状態です。
緊張している状態と比べてみてください。
身体の状態はどう違うのか?
どこがどうリラックスしているのか?
心のあり方はどうか。
身体をその状態にもっていくにはどうすればいいのか。
感じてみてください。
(コメント:そのとうりだとおもいます.積極的に挑戦して,人生にも積極的に挑戦して下さい.吃音は,たとえば,深層心理のようなところで最初の原因があって,それが発達して「吃音誘発状態」を作りだし,その結果ではないかとおもいます.治し方に決まった形はありません.がんばって下さい.でも,がんばりすぎて自分を追い込みすぎないようにして下さい.)
- ヤスノリさんの体験談ー精神的な安定が吃音を治すー
小学生のころから吃音でした。友人、家族と話す時は、多少吃ってもコミュニケーションに差し障るほどではありませんでした。しかし、銀行、お店など、言い換えのできない特定の単語(氏名、住所、注文をする物の名前など)では非常に困難を感じた経験が数多くあります。
小学生のころ、吃音矯正教室に卒業するまでの2年近く通いました。その後は、「吃音の克服」という本、確かパンライバー博士の翻訳本だと記憶していますが、大変影響を受け、それまでの精神的なコンプレックスから少し開放されました。その後現在に至るまで、多少の波がありながら少しずつ改善されている気がします。
現在、大学の助手をしており、大勢の学生の前で話さなくてはいけないことがよくあります。そのような場合、一言一言を意識して、口をはっきり動かすなどして話すと9割方は、大丈夫です。しかし、どうしても発声できない単語があったりすることがあり、その場合は、黒板にだけ書いて少しごまかしてしまうこともあります。
私自身、吃音が改善している原因には、精神的な安定が大きいと感じています。私自身、仕事の面では、高校の時から好きであった生物学の研究を助手という立場ながら続けることが出来、個人的にも妻と3人の子供に恵まれています。少しでも参考になればと幸いです。
コメント:
何かに没頭することがいつのまにか吃音を主ではなく副の立場においやり,その過程で没頭している事柄に対して自信が生まれ,それがまた,生活環境を良い方にうごかし,精神的安定が少しづづ増していって,いつの間にか吃音が改善されるのではないでしょうか.当然その間に話をする機会がたくさんあったと思いますが,これもこの自信が牽引役になって少しづつ改善されていたtのではないでしょうか.これだと吃音で自分を追い込むこともないですし.
- ”まやー”の吃音体験記
前略
興味深く拝見させていただいてます。
私(みんなそうだと思いますが)、は、吃音の事は自分の中の最もナーバスな部分なので、人とどもりについて話した事が殆どありませんでした。改めて、同じ悩みを持った方々の意見を読むと、身にしみる共感を覚えます。
一度だけ、ある例会に参加させていただいた事はあるにはあるんですが、自分がどもりであることに対して、自意識過剰になってしまいそうでしたので、行くのをやめてしまったんです。その集まりにいらした方々からは、”自分(わたしのことです)のはどもりのうちに入らないよ”と言われました。
そうはいっても、中高生の頃の国語、単元の初回はかなり辛いものがありましたし、26歳の今になっても、会社の電話恐怖症になった事は数知れずです。(笑)
わたしは、10代の頃に比べると、かなりどもりが治ったほうだと思います。
自分なりに何故良くなっていったかを考えてみましたので、お役に立てれば幸いです。
- 気にならなくなってきた時期
→高校生の頃(国語は別です。)
私立高校に進学したため、中学時代の自信のない(これはどもりだからというのではなく、運動が出来なかったからです。もしかしたら、それがどもりの原因かもしれませんが。
ダサい、私の姿を知る人がいなかった。そこで、積極的に話しかけるようにしたら、結構、何人かの友達に恵まれました。その後、彼氏ができ、自分の事を好きだといってくれる人の存在が、私に自信を与えたのだと思います。
でも、やはりどもってましたが。
- どもりがもっと、気にならなくなった?
→大学に進んで、下宿生活を始めました。
部活に人形劇を選んだことは少し勇気の要ることでした。ただ、大きな声で発声練習をする事は良い事だろうと思いましたし、しゃべる事から逃げていては余計どもりになってしまうような気がしたのです。この時の経験で、私は最低限、はきはき話すことが出来るようになりました。部活関係でたくさん友人を作った事、やりたかった勉強が出来るようになったこと、新しい趣味(バイクです)と出会ったこと、そういった楽しいことに幸運にも恵まれまして、どもりより別の事へ気がいっている時間の方が多くなったんだと思います。
とはいっても、私はどもりに波があるので、ひどい時期に入るととても悩んでいました。
印象的なのは、当時(3回生)飲食店でバイトをしていたんですが、ある日を境に”ありがとうございました!”が言えなくなってしまったんです。たぶんどもってうまく言えなかった事が引き金になったんだと思います。この一言は、接客業においては命のような言葉であっただけにつらかったです。
その時の事が引っかかって、いまだに、販売関係の職は避けてるきらいがあります。
- 私が挑戦した事
→就職活動は、営業職を目指して行くことにしたんです。
もともと、上記のような事がありましたが、接客そのものは好きな方でした。それに加えて、新卒の内勤事務など、募集すら皆無に近かった事、じっとしているのが苦手な事、車が好きだったこと、などから営業職を目指すことにしたのです。
そして、しゃべらなければいけない仕事に遭えて身を置いてみたほうが、治りやすくなるんではないだろうか、と思っていたことも事実です。
面接でどもって恥ずかしい思いをした覚えがあまりありません。転職活動をしている今のほうがもっと緊張しているのも不思議です。
明確な目標のもとに、自己分析をだいぶしました。そのために自信を持って面接に臨んでいられたのだと思います。
なんだか、えらそうな事ばかり書いてますが、あの頃は、世間知らずの怖い者知らずだっ たから、あんな調子で就職活動ができていたんだと思います。
- 今はどうなったか?
→約3年間、臨床検査センターとメーカーで営業をしました。
やはり、話すことに対しての抵抗は殆どなくなったと言っていいと思います。
もちろん仕事がうまく行かなくて、ものすごく悩んだ時は、いやらしい事にどもりが私に追い討ちをかけてきました。まあ、得意先で、恥ずかしくなかったと言えば嘘になりますが、ひどくどもったときは、非吃音の人がよくやるように、そうではなくて、という風にほっぺたを叩いたりして、愛嬌と言いますか、笑ってごまかすようにしてました。仕事を笑ってごまかすのではないのですから、それぐらいして明るく振舞ってたほうがいいだろうと思っていたのです。
ただ、その後契約社員をやっていた会社では、電話恐怖症になったことがあります。
”はい、○○です。”たったこれだけなのに、電話の呼び出し音が鳴っただけで、体中緊張してきて、見事にどもりまくってました。下手したら、4〜5秒電話を取ってから何も言えなかった事があります。その後、”おはようございます。”も言えなくなってかなり悩んだ時がありました。このときは、昔父からもらったお守りをポケットで握り締めてから会社のドアを開けるようにしてました。おはようございます、のどもりというか、緊張は結局あまり取れなかったです。次の会社では、どもらないといいんですが。
- ひとつ感じたこと。
→私は関西へ来て、9年になるのですが関西弁って、舌の滑りがいいと言うか、同じ言葉でも、関西弁になるとどもりにくいような気がします。なんか、変な意見かもしれませんが・・・。
長々と書いてしまいましたが、私はどもりが完治している訳ではありません。しかし、日常会話では、自分自身殆ど、気にならないくらい治ってきたような気がします。荒療治をしたような気もしますが、声を使う事から始めてみたことが良かったのかもしれません。もしかしたら、私は本当に程度が軽くて、荒療治向きだったのかも、とも思います。
15年近くどもりと付き合ってますが、、私のどもりに対して、それをからかったり指摘するような人は今まで、覚えてる限り一人だけでした。
それは、結婚の約束をしていた(下記の会話が原因でわかれたわけではないです。念の為)、前の彼です。まねをしたんですね、私の。当然、かなり怒りました。
「私は今までこの事では、自殺しようかと思ったほど悩んできたし、自分の中では、自分以外の人には、ぜったいに触れられたくないナーバスな事なので、おもしろ半分にからかうような事だけは今後一切してくれるな。」と。相手は悪気があってしたことではない。ごめん。と言ってました。
きっと、私が治りつつあるのは、友人やパートナーの理解があったからだと思います。みんな、私の、一生懸命話そうとして、どもっている姿を、すごく温かい目で見てくれていたような気がします。というより、みんなも一生懸命耳を傾けてくれていたんです。そういう表情でした。
「質問」の中で、「人が先に言うのだが。」というのがありましたが、私はあれをしてくれる人に対してはかなり感謝しています。ほんと、こっちの出てこない言葉を察して言ってくれる人はありがたいです。もしかしたら、先回りされてる事で、どもる自分の事をじれったいとか思ってるのでは?と思われる方もいらっしゃるかもしれません。それは杞憂だと思います。親切心でも、もどかしいとかでもなく、ポロっと相手も言っているだけだと思います。
- 就職活動の私の極意は、
「少しでも感じの悪い態度、誠意のない態度を取るような会社はこっちから願い下げ」
というものでした。吃音する人を、変なものでも見るような態度を取る面接官は、人事の癖に人の話に耳を傾ける、という基本がなってない人なのです。これは面接官にとっては致命的な事であるにも関わらず、それに気づく事はこの先もないでしょうから、その会社はこういう人事担当者を置いていることによって、大変損をしているでしょう。
就職活動をされている学生の方たち、いえ、転職先を探している人達も含め、全ての職を探す吃音者の方々に伝えたい事は、「どもりを奇異な者としてみている会社に運良く滑り込んで、理解されないまま働いて行くか、一生懸命どもって自分の事を伝えたとき、一生懸命聞こうとしてくれた人のいる会社でやって行くかどちらのほうがいいか?」と言う事です。とはいっても、みんな生活があるし、そんな出会いがあるまで気長に待ってられない!ですよね・・・
よく言われている事ですが、面接って恋愛と同じだと改めて思い返しています。いちばんいいとこ見せようとして、外しまくったり、かっこよくきまったり、だましだまし相手の様子を探って行きますよね。ほんと面接も一緒です。
私が、面接でも、営業時代もいつも活用していた事はどもりかけたら、「申し訳ありません、少し緊張しています。」と相手に伝えてしまう事です。経験上、これはかなりの効果を発揮する事を知っています。体外、面接官は「リラックスして下さい。」と笑って言ってくれるものでしたが。(運が良かったのかな?) ただ、ひとつ言える事は、恥ずかしくなって、うつむきがちになり、気持ちだけがまいあがって、何を言ったか覚えていない、こういうパターンがいちばん辛いですよね。これが続くと、かなりの自信喪失状態になり、その人自身がふだんはそんな人じゃないとしても、暗い雰囲気をかもし出してしまう事が多々あります。これって、どもらない人でも、ほぼ必ずと言っていいほどかかる症状ですが。
就職活動で最も気をつけたほうがいい事は、どもる事なんかより、こっちなんですよね。
上記の文章と重なるところがありますが、しょうもない人事なんかに振り回されるのは時間の無駄です。世の中にはさまざまな人がいるんだという事実を、いい年して分っていない、他者に対して思いやりを持てない、人間として大事な部分が欠けている人達なのです。こんな連中がいる会社に限って、たいてい不祥事を起こすものです。
- あともうひとつ。
今の買い手市場をいいことに、学生達に対して、とてもえらそうな態度を取る会社って多いですよね。こういう会社も、先が知れてます。何故か?
ひどい言葉を浴びせた目の前の学生さんが、この先いつ、自分達の取引先になるか分らないからです。こういう、細かいところに、その会社の方針が反映されているのです。事実、私のときに、友人が「めっちゃひどすぎる!!」と怒っていた会社は、10日後くらいに、不祥事を起こして、新聞やニュースで叩かれまくっていました。
大事な事は、こちらも相手を見抜いてやろうという気で臨む事です(ただし心の中だけで。).採用してもらいたい一心で、相手に対して、びくびくしてしまうとこちらの「目」が曇ってしまいますから。
上記の事は、私の学生時代の事を思い返して書いているのですが、その実、職探しで悪戦苦闘している、私自身への反省でもあります。みなさんには、あまり自分を追い詰めず、就職活動をしていただきたいです。私自身、自分をぎりぎりまで追い詰める悪癖があるので、余計そう思います。
コメント:
就職おめでとうございます.
人いろいろ,吃音者もいろいろですよね.でも一番重要なことは,明るく前向きに生きることですよ.
「就職は恋愛と同じ」.どちらも気に入られたいしどちらも拒否する権利がある.追いかければ逃げるし逃げれば追いかけてくるし.是非入れてほしいと卑屈になると相手は「そんな力のない人いらない」となるし,「実力」がみえると「是非来てほしい」となります.採用側だって優秀な人材探しに必死なのです.
失恋はしたくないけど,しないと「人生は気の抜けたビール」みたいな気がしますが.
- ”ウルトラの父吃音経験記”
ドモラーズHPに投稿されたのを再掲させていただきました.
原文はBBSを通した対話形式ですが,ページ数の関係でウルトラの父さんだけのものをのせさせていただいています.
- ベテランドモラー参上 (1999年8月11日)
みなさん、初めまして、私は47歳の現役ベテランの
ドモラーです。3日前に偶然このHPを発見して
驚愕と共に何とも言えないうれしさに半分涙を浮かべて
過去のログを読んできました。こんな世界があったなんて
それこそ時代の変化を痛感するとともに、ここに参加している
若い方達に、私が経験した色々な事をお話しして、少しでも
悩んでいる事の救いなり手助けなりできればと思っています。
参考に自分の事を簡単に説明します。
小学校の5年生頃から始まり、中学時代2度自殺しようと家出を
しました。死ぬ勇気が無く、帰って来ましたが、高校時代に
素晴らしい先生に出会いどもりと戦う勇気をもらいました。
それ以降勝ったり負けたりしながらも、うまく付き合う方法を
少しづつ体得しながら、大学、就職、恋愛、結婚と普通の人と
同様の人生を歩み、現在、2人の子供を持ち、都内に自分の家を
持っています。仕事はみなさんも良くご存じの有名な大会社の
本社の部長職として働いています。世間から見れば普通の
成功者ですが、これまでの道はどもりでなくては絶対に
判らない、苦しい道でした。今後少しづつその話をさせて下さい
質問もあれば、応えられる範囲でお応えさせて頂きます。
最初から長文で大変失礼しました。
- さっそくの反応ありがとう
みなさんの関心の高さに改めて驚きました。
私が高校生の頃ウルトラマン全盛時代でした。そのテーマソング
にウルトラの父が出てくるのですが、みなさんの父親と同じぐらい
だろうとおもってこのネームにしました。
>ランドルトさんへ
新人の時一番考えていたことは、何かで会社NO1
になろうと思ったことです。元々大きなハンディを
抱えているのですから、この事では会社で一番だな
という評価をされる事が重要です。私はプログラマー
の仕事をしていましたので、頼まれたらいかに早く
仕上げるかに最大の努力をしました。その結果半年後
私は会社で最も早くプログラムを作れる男という評価を
もらい、関係する色々な部署からご指名で仕事が来るように
なりました。これがその後の評価に大きく影響したのです。
電算部に**あり、と評判になっていればどもっているからと
配置転換など上司は絶対にできません。
新人はまず自分の名前を売って下さい。それがどもりを
ハンディにさせない力を発揮するし、なにより自分の自信に
つながります。
まわりにも、どもりの課長が2名いますが、一人は会社の
事務処理について生き字引と言われ、重宝がられています。
もう一人は元々コンピュータの基本ソフトの大家だったのですが
今ではインターネットの神様と言われて大事にされています。
何かの一番になりましょう。
- どもり宣言
これから就職試験を受ける学生さんへ
私が以前就職の面接官をしたときの経験ですが、
一人どもりがいました。自分がそうだからすぐ判りました。
その人は下を向いて固まっていました。これではダメだと
思い、こちらから「あなたはどもりでしょ?」と聞いたら
何だかうれしそうな表情を浮かべ、その後はどもりながらも
明るく応対してくれました。もちろん採用合格させました。
どもりに悪い人はいない、みんなまじめで、誠実な人です
これは私の勝手な持論ですが、みなさんそう思いませんか?
ちょっとしたきっかけで緊張をほぐせば本当の姿が浮かんできます。
これから面接試験を受ける方はどうか、明るくどもって欲しい
できたら自分はどもりであることを宣言してもいい、その方が
ずっとさわやかで好印象ですよ。問題は話す中身。きちんと
考えを整理して、うまくしゃべろうとしないで、伝えたいことを
はっきり話して下さい。
”吃音のごまかしという発言に答えて”
私もそうですが、だんだん年を取ると誤魔化すのがうまく
なるのか、本当に忘れているのか、自分が熱弁をふるっている
のに気が付く事があります。たぶんどもらずにスムースに話して
いるようです。話の内容に集中すると忘れるみたいです。
- 電話マスター法
しばらくインターネット環境の無いウルトラの星
に帰っていたのでご無沙汰しました。
相変わらず活発な様子でうれしいですね。
さとさん、かなりいい線でご理解していると思います。
吃音は「癖」の一種、「癖」なら治せる、心理的影響との
関係が深い、このご意見。全く、賛成です。
私が新入社員の時の電話との戦いは慣れることで
こなしました。プログラムの仕事の傍ら、全国の支社から
電話で入る見積もり依頼に対してコーディングシートへ書取り、
パンチャーに渡してデータ化し、電算機を回して出た結果を
電話で報告すると言う、電話嫌いにとって地獄のような仕事を
任されました。1日に何十本、百本近い電話のやり取りでした。
しょうがないので、最初は旅館に空き状況を聞いたり、
公共の場所に住所を聞いたりして、電話そのものへの
恐怖心を無くすことから始めました。深く息を吸って
ゆっくり吐く、この時どこにも力を入れずにゆっくり話す。
相手は知らない人だし、こっちも名乗っていないので
気は楽です。これだけでも電話への基本的な恐怖心は
だいぶ納まるし、うまくしゃべれる癖を付けるのに
効果的だったようです。
後は慣れ、毎日の事で半年もやっていれば
慣れてしまいます。勿論時々どもっているのでしょうが、
とにかく忙しいので、気にしている暇などありませんでした。
今でも慌てるとどもりますが
ゆっくりしゃべる癖を思い出せば途中から復活できます。
電話嫌いなどもりの新入社員のみなさん、避けないで
ぶつかって下さい。積極的に電話して慣れて下さい。
これしか克服する手段はありません。
- めざせ、幸せなどもり
不幸などもりと、幸せなどもりについて考えて見ました。
*不幸などもり
1 周りにどもりであることをひた隠している
2 電話や朝礼などイヤなものから逃げ回っている
3 常に心の中は根拠の無い不安感にさいなまれ何をするにも自信が無い
4 人と対した時、自分がうまくしゃべれるかだけを考えている
*幸せなどもり
1 ある程度の親しい周りの人に自分がどもる事を話している
−−−自分の心の解放
2 イヤなものは攻めて攻めて克服し、何とかこなしている
−−−自分への挑戦の心
3 明るく元気であり、自信に満ちている−−前進への積極性
4 人とのコミュニケーションはまず、相手の「心」を聞く事と心得ている
−−−人間の原点
いかがですか、みなさんもどこかの項目に該当するでしょう。
一つでも多く幸せなどもりの項目になるよう努力したいですね。
さとさん、yousukeさん、私はこの幸せなどもりの状態に自分が
到達することが「結果」ではないかと思います。
仕事の結果も後を付いてくると思いますよ。
幸せなどもりになるための「過程」は自分の心との葛藤の日々です。
水戸黄門の主題歌も「人生楽ありゃ苦もあるさ」と言っています。
敵はあなた自身ですよ。姿勢を正して、肩の力を抜き、下腹を締めて
大きく息を吸って、ゆっくり吐いて下さい。
明るい明日が見えませんか?
- 楽しい=幸せ???
ちんねんさん
おっしゃる通り、どうせやらねばならないイヤな事は一番最初に
やってしまう、と言うのが私の流儀です。夏休みの宿題は
いつも、最初の一週間でかたづけていました。
どもりもイヤな事ですが、気にしなくなることへの努力は
積極的にやるべきですよね。
<さとさん
どもりの本能としてどもることを隠そうとしませんか
これは、悲しい習性ですが、できれば知られたくないと
思うからではないでしょうか。
親しい友人に私が告白(オーバーな表現ですね)するのは
その人を信頼しているし、大事な人だからこそ
隠し事をしたくないからです。
自分の真の姿を知っていて欲しいと思うからです。
自分の心の解放とはそういう意味です。
話してしまえばその後は、どもっても恥ずかしくないし
変に取り繕うとする必要もありません。
そもそも決心して話しても、相手はぜんぜん気にしていない
というのが、現実です。
それから、イヤな事をしているとき、楽しい訳はありません。
つらいです。でも努力するのです。幸せを求めて。
人間だから。
「楽しい=幸せ」ではないですよね。人間は幸せになりたいから
毎日つらい努力をするのです。何が幸せかはその人だけのもの、
人によって様々です。
楽しいからってゲームばかりやっている学生の将来が
幸せなものになるでしょうか?
喜怒哀楽はその瞬間の感情です。目標ではありません。
自分の目標を定めてつらい努力を日々行うことが
人間らしく生きるということではないでしょうか。
話が難しくなってすいません。
- 私の結婚式
私がまだ20歳代だったころ、たぶん自分は結婚できない
だろうと思っていました。
その頃結婚式といったら神前かキリスト教でしたが、
どちらも宣誓なるものを行うのですが、多くの人の前で
緊張状態でそんなこと、考えただけでも恐ろしい事です。
結局3人の女性と結婚寸前までいって別れていました。
最後は私の決断がつかなかったからでした。
そして30歳になったとき、どうしても一緒になりたいという
本気で惚れた相手と出会いました。そしてその女性は古い
価値観にとらわれない、斬新な考えを持った人で、スイスの
教会で二人だけで結婚式をやりたいとか言い出すほどでした。
そこで考えたのが人の前と書いた「人前結婚式」でした。
おなじ合唱団のメンバーなので、仲間の中から生まれた「愛」
だから、神様ではなく、みなさんに結婚を誓うという
主旨にしたのです。
両方の両親への説得は困難を極めましたが、二人の固い決心と
まわりの仲間達の支援で、双方が折れて実現しました。
そして宣誓は言いやすい言葉を選んで文書を自分で考え
二人で唱和したのです。唱和は合唱に近くどもらないでできます。
本番は大成功で、立会人に婚姻届にその場でサインしてもらって
結婚式は終了、あとは披露宴です。合唱団主催だから音楽会の
ような披露宴で呼んだ親戚や上司も楽しんでくれました。
以降、合唱団ではこの方式がブームとなり、これまで30組ほどが
誕生し、離婚した組はまだありません。
一つの例として、今、結婚式で悩んでる人がいたら
参考にしてください。
- 私はこんな人
少し私の自己紹介をします。
外見は身長183cm 体重80kg ちょっと太めでがっしりタイプ。人からいつも姿勢が非常にいいと誉められるので、身長のせいもあって堂々と自信に満ちているように見えると言われます。中身はいつもどきどき者なんですが、外見がカバーしてくれているようですね。
顔はよく「おだやかな顔ですね」と言われます。初めて一人で飲み屋に入ると、銀行員か先生ですかと聞かれる雰囲気です。人に自慢できる事と言ったら歌がうまいぐらいですか。会社の関係の結婚式やら新年会などでも、必ず歌わされます。
私の信条は「正直に、誠実に」そして「人の為になることをする」が私の人生観で、会社も仕事もそれに沿った事をやっていて他人との関わりでもいつも人の為を思って接しています。
今でもそうですが、結果的に周りから多大な信頼を頂いており一部女性陣からは「駆け込み寺」とか「お兄ちゃん」とまでいわれて、様々な方からの相談事に応じています。
人によく言われるのは、
悪口や陰口を決して口にしない人。
秘密は完全に守ってくれるので安心な人。
自分のことを真剣に心配してくれる人。
そばにいるとホッとする人。
これって我々ドモラーにとって当たり前の事ですよね。だからあなた方にも十分当てはまるはずです。
私は合唱団やら地元の人間関係で若い女性が周りに大勢いたということも環境として恵まれていたのでしょう。
こんな所ですか。極力自慢話にならないように気を付けたつもりですが、そう感じたらごめんなさい。
- 相手の「心」を感じられるドモラー
"やなさわさんの「どもりになったからこそ相手の気持ちを大切にするよう努力をしているのではないか…。」にこたえて"
今日は、新しい仲間ですね。
そう、私ももし自分がどもりでなかったらどんな人間に
なっていたかと考えた事がありました。
話すことにハンディがあるからこそ、人が話すことに人一倍
注意を向けているのかなと思います。なぜこの人は今、この
話をするのだろうかと相手の「心」に聞き入っているのを
感じます。 これが結果的に相手の心を大切にする事に
なります。
私の女性の友人ですが、遊びが好きで若い頃は飛び回っていた
ノー天気な子だったのですが、結婚して子供が産まれたら
先天性の未熟児で5歳でも話もできない子供ができました。
最初は運命を呪ったそうですが、今では逆に人一倍生きる事の
大事さを感じていると話してくれました。自分の子供が私に
そのことを教えてくれた、と語っていました。
それを聞いたとき、その女性の成長ぶりに驚いたものでした。
ひしひしと感じることができるのでしょうね。
相手の「心」を感じられるドモラーに生まれて、かえって
よかったのかもしれませんね。
- ”ペロさんの「治してみせよう、ほととぎす! 」(99年9月8日)”
ドモラーズHPに投稿されたのを再掲させていただきました.
- 自己紹介
はじめて、書きこみます。ペロ、男です。
皆さんの日常の悩みや相談やその解決法などがたくさんあって、
前向きなパワーを強く感じています。
さて、まずは自己紹介から。
僕は、以前はひどくどもってました。
そのせいか、人前で話すのがイヤでイヤで、それはもう苦痛の他の何物でもありませんでした。
「これさえなかったら、目の前の世界が変わるのに・・・」,
「これさえなかったら、もっといろんな人と話す機会が増えるのに」,
「これさえなかったら・・・」と何度も思いました。
そして、ある時、こう思いました。
「自分は、こういう星のもとに生まれたのだ」と。
そして、その宿命に逆らうことは自分の適性から外れるものであり、
そうして流暢にしゃべれることを望むことは、自分自身を
苦しめるだけであり、自分はこういう人間だと認識することが
ある意味、必要ではないだろうか。
そう思ったことがありました。
- 何が何でもなおしてやろう
しかし、自分には「しゃべりたい!」
ただただそういう思いが強くありました。
「このままでは終わらんぞ!」
「自分の人生、楽しんでやろう!」
「そのためには、何が何でも治してやろう」
「ここから、自分ははじまる!」
そう思いました。
そこから、僕はこのどもりという悪癖を治しにかかったのです。
僕自身、話はいろいろ聞いていました。
腹式呼吸をはじめ、様々な方法があることを。
実際、僕も、耳鼻咽喉科に行って、専門医の話を伺いました。
これは非常にためになりました。
発声方法です。
しかし、それだけではなんの解決にもなりません。
だって、どもるのですから。
- 強く思うこと,強い願望
どもりが治る人と治らない人とは言いません。
どもりが治る人とそのままの人と言いましょう。
その違いは何か?
それは、願望と希望の違いです。
「こうだったらいいなぁ、こうなりたいなぁ」 これが希望です。
これでは、いつまでもそのままです。
強く思うこと、これが願望です。
絶対にこうなってやるという強い想いです。
強く思えば、工夫し、失敗し、そして反省できます。
これを繰り返すことで、確実にステップアップします。
反省しない人はずっと同じ失敗をするから。
少なくとも、自分はそう思います。
苦しんでいるだけじゃバカですよ。
工夫しなきゃ。自分の人生ですよ。
そこからはいあがらなきゃ。
実際、図書館や書店でどもりについての本を読みました。
しかしどの本にも、まだどもりの正確なプロセスは
発見されていないと書いてあり、あとはクリニックの紹介と
治療の訓練法(本によってまちまち)が載っているというものでした。
いろいろ読みましたし、いろいろ試してみましたが、
「何かちがう」って感じたのです。
確かに、そのように訓練したら、もしかしたら快方には向かうかも
しれませんが、自分が納得できるレベルまで治るかと疑問に思ったのです。
みなさんは、そうなったらいいなぁという希望と、それに対するメソッドを知っただけでとまっていたりしませんか?
又はその訓練法を実践されているだけではないでしょうか?
そのうち治るだろうってくらいなら100%そのままです。一生。
僕はそんなのごめんです。
意地でも治してやると思ったのです。
そして、なぜどもるのか考えました。
- 発声法と気を強くすること
皆さんはどもる時、またはどもりそうになる時に
心臓がドキドキしませんか?
胸がバクバクしませんか?
これがないっていうのはウソだと思います。
これがあるからどもるのです。
じゃどうしてドキドキするのか?
それは、気が弱いからです。肝っ玉が小さいからです。
皆さんはどう思われますか?
皆さん、治すためのメソッドやどもりであることの認識について
考えることがほとんどで、
肝心要の、なぜ自分はドキドキするのか考えましたでしょうか?
僕は、そこに原因があるのだと思いました。
医者のいうメソッドがたくさんあるためにこの問題の解がたくさんあると思いましたが、そのようなN次方程式なんてものではなく、
いたって簡単な問題なのです。
カギは2つです。
発声法と気を大きく持つことです。
しかし、どもりを治すのに必要な度合いは
前者が1に対して、後者は9くらいです。
発声法については、僕の場合は軟気声という方法で訓練しました。
- 気の弱さをなくすには
そして気の弱さをなくすことに全力で取り組みました。
いつも思っていました。
「どうしてこの人の前で自分はどもらなきゃならないんだろうって」
どうしたらういいのだろう?
そしてその解が暗示でした。
自分はどもらないというようではどもるという言葉を否定しているに
すぎません。
「自分は話せる!」「最初はゆっくりだけど話せる!」って
なんども自分に言い聞かせました。
純粋に暗示です。
手のひらにマジックで書いたこともありました。
強く思うこと。
これがカギです。
僕はこの方法でかなり克服できました。
多少は自分でも言いにくいと感じることもありますが、
普通の方から見れば、まったくわからないって言っています。
暗示というと、すごくアバウトな感じがしますが、
僕の場合、この問題をつきつめてみて、原因を見出した後、
この方法にたどりつきました。
でも、効果はかなりあります。
- 治療の前に自分を見つめ直す
変な治療法をあれこれ試す前に、「自分」を見つめなおすべきではないでしょうか。
そこから始るのだと思います。
「おれは話せる、ゆっくりだけど話せるんだ」って暗示をかけることで、気が付くと、何でも思ったことをしゃべっている自分がいました。
最後に、ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
どもっている人って、いろいろ気にしたりされたりするので
すごく相手の気持ちを理解できる人だと僕は思います。
それはその人自身が苦しい目にあっているから。
だからこそ人の気持ちもわかってあげることもできるし、
まっすぐに物事をとらえる素直な心の目を持っているのだと思います。そんな熱い人だと思います。
今度は、今まで目をそらしてきた自分の問題の核心部にまっすぐに
取り組みませんか?
そこから、一歩踏み出すこと、そのために強い願望を持って、
自分を見つめることができた時、解決の扉が開かれると思います。
長々と書いて申し訳ありません。
不適切な表現もあったかもしれませんが、
この掲示板には思ったことを飾らずに書こうと思いました。
みなさん、がんばろう! しゃべれるっていいですよ!
コメント:
そうなんです.この考え方こそ重要です.もう治ったも同然です.そうしているうちに「暗示」することを忘れてしまって治ったこともわからなくなったとき完治なのです.
- ”KYMさんの吃音克服談(99年12月28日)”
keikasa言友会会議室"井戸端会議"に載せられていたものをkさんの好意で掲載させていただきました.
−−S.S先生との思いで−−
私は中学生の頃から武術の修行ということで町道場に通いました。
切っ掛けは吃音で馬鹿にされ喧嘩になった時、相手が柔道初段で負けてしまったから
です。
悔しかったですね。
それで学校の帰りに週3回、空手と少林寺の道場に通いました。
中3の頃には、2cmの板を5枚重ねて楽に割れました。
卒業式の前にきっちりその柔道マンにはリベンジしましたが、以来、折に触れ、
試し割のデモンストレーションをやったりしたせいか余り馬鹿にされることはありま
せんでした。
今考えますとアホな話ですが、丁度『燃えよドラゴン』の公開の頃でしたので、
その追い風もあったようです。(笑)
大学の頃は大阪にいて例のS.S先生の道場に居りました。
当時全く無名だった先生に吃音を相談しましたところ、
「相手によって話せたり話せなかったりするのは、中心力(胆力)が出来ていないか
らだ。相手にのまれなければ大丈夫だ」ということで、就職の面接試験用に「試験官に飲まれない方法」を教わりました。
これも結構笑える方法なのですが、武術的には一理あるようです。
- 面接室に入ったときに部屋全体を見渡す。(視界を維持する)
- 部屋の状況を詳細にチェックする。(アガルと視野が狭くなる為)
- 試験官が強そうか弱そうか一人づつチェックする。
- 強そうな奴からイメージの中で、出来るだけリアルにボコボコにやっつける。
- 全員倒したらニコリと笑う。
- 質問される都度に相手をイメージの世界でぶちのめしてニコリと笑う。
以上、S.S流「面接試験必勝法」でした。(爆)
S.S先生の道場に寝泊り(先生の寝袋で応接室に寝てました)させて頂いてたの
は、先生にとっても便利だったからでしょうね。(笑)
当時先生は、志賀留という日本名を使っていました。時々、先生が夫婦喧嘩をするときなど、二人で冷たいご飯にお新香を乗せてお茶をかけるだけという食事をお付き合いしていました。私が「やられ上手」でしたので、つまり受身がうまいということですが、
先生が弟子達にお手本を見せる時にはいつも私が相手を努めていました。
先生の言葉で今でも覚えているのは、
「男は絶対に夢を捨ててはならない。
夢を放棄することはその可能性を手放すことだ。
人生には幾つかのチャンスが必ず巡ってくる。
それを掴む事が出来るかどうかは日々の弛まぬ努力にかかっている。」
先生は毎晩のようにシナリオを書いていました。奥さん始めみんな「またやってるよ」とバカにしていましたが、私と映画に行くたび
に
「僕は必ずハリウッドでスターになる」
と言っていました。演技の練習など一度もしたことが無いのに。
いつも二人でいましたので、先生のお昼のソバ代も私が連日払っていましたが、
まさか本当にスターになるとは思いませんでした。
本人は「当然」と思っているかもしれませんが・・・。
もうひとつ無名時代のS.S語録から。
- 人間の器というのは、貴方が勝手に決めているのだ。
- ここまでしか出来ないと自分で限界を決めたとき、
貴方の器もそこで決まってしまう。
- 人間に無限の可能性があること理解しないと
貴方の人生の道は開かれはしないだろう。
だそうです。
「努力が報われないのは、努力の方法が適切でないのだ」
この言葉は先生の好きな言葉のひとつでした
実は今を遡る21年前、吃音について先生に相談をしたことがあります。
そしたら、「僕も小さい頃そうだったんですわ」と言われました。
先生の日本語はおかしな関西弁でしたのでいつもこんな調子です。
「え、先生も吃音だったんですか?」と驚いた私は、どうやって治ったのかしつこく
聞きました。当時は毎日、治すことを考えていましたので。
先生によりますと、軽度の吃音があったけれど、気がついたら治っていたとの事。
先生は、ユダヤ系アメリカ人で小さいときからとても背が高く痩せ型(電信柱型)で
した。後日鍛えて筋肉質になりましたが。
気の弱さを克服する為に、武道の世界に入ったそうです。
よく、プロレスラーが「子供の頃はいじめられっ子だった」と、雑誌のインタビュー
に答えているのを読んで、「うそや」と思ったものですが、身体の大きさと気の強さは
関係なさそうですね。
開祖の植芝翁が米国で演武したときにすごく感動し、直ぐに日本へ来たそうです。
ブルースリーとも練習したとか言っていましたが、これについては?ですね。
結論は、直接的に吃音を治そうとしたことはなく、武道の修練により自信が高まった
ことでいつのまにか治っていたとか言っていました。先生の修行した頃は、開祖も生きていて少し神懸かった練習をしていたようです。今の合気道とは別物ですね。
特に、古神道的な合気の呼吸法に「気を練る力」があるとかで、私も随分やらされま
した。先生は、「治す目的での治す努力」はしていませんが、強くなる目的での「努力」をしたわけです。つまり、技術的には全く同じ種類の練習をするわけですが、やる目的が違うのです。
「治す目的での治す努力」は常に吃音を意識しています。
先生の場合は、吃音に関係なく「努力」することで、日常的に吃音を意識しつづける
事がなかったと思うのです。
その話を聞いたとき、私自身かなり閃くものがありました。その日から、私も考えを変えて「治す目的での治す努力」をやめました。毎日日課としてヨーガとか気功とか合気道とか、それまでと同じ練習をやるのですが、目的の持ち方だけを変えたのです。
「治す目的での治す努力」ではなく、「治す目的を離れた(忘れた)治す努力」とでも言いましょうか。
ここのところは、結構キーポイントだと思います。
吃音を克服できたときは、吃音を忘れた状態だと思うのですが、治すことにこだわり
過ぎてその事にいつもとらわれていますと、つまり忘れることが出来なくなります。
例えば、自律訓練法をやる場合でも、吃音の治療を目的として位置付けずに、ストレ
スの解消とか自分自信へのいたわりとか心の癒しといった目的でやったほうがよいように思います。
やることは同じでも、「質」的な違いは大きいと思うのです。「治す目的での治す努力」にこだわりすぎることは、結果として、「治す努力の否定」と同じく、よい成果を期待できないでしょう。陰きわまれば陽になる、と中国でも言っています。
>まず、大事なことは「適切な方法」を見つけることですね。
>「治す方法」なり「楽になる方法」なり。
>セルフヘルプグループとしては、一人一人が自分なりの「適切な方法」を
>見つけていくために相互に助け合うことが重要ですね。
吃音治療においての「適切な方法」とは、技術的には幾つかあると思いますが、その
時の目的意識と言うか、心の持ち方、アプローチのスタンスなど結構心理的に奥の深いものだと考えています。
禅の世界では、「悟りを得ようと躍起になっている間は悟りは得られない。」らしい
ですが、悟りを得ようとする努力を全て否定してしまったら、「買わない宝くじはあたらない」というのと同じ結論になりそうです。
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KYMさんは東京の大学にいながら大阪に行っていろいろな経験をされた方です.本人は「どうして吃音が治ったかわからない」といってますが,生まれた場所を離れて大阪に行き,住み込みで空手,柔道,ヨーガ,気功と,合気道などを,人の間でやれば吃音は治っていきます.吃音をもったままで自分のやりたいことをどんどんやっていく.このことが大切です.(Hero)
- 靖さんの「吃音がいつの間にか治った」
いつ頃吃音になったかわかりませんが,小学年低学年の時「靖ちゃんみたいな人は歌がうまいのだよね」といわれたとき,「靖ちゃんみたいな人ってどういうことだろうと」思ったのを憶えていますので,すでにこのころ私は意識してなかったけれど吃っていたと思われます.その後,小,中,高等学校は「本読みの地獄」みたいなところであったし,店では買いたいものを言えずに,また,電車では駅名を言えず赤っ恥を書き,引っ込み思案な地獄のような毎日を送っていたのです.吃音期間はわかっているだけでも30年間.永い苦闘の歴史です.それが今ではすっかり治っています.
どうして治ったのかいつ治ったのかは明らかではありません.吃音とは,いつなったのか,いつ治ったのかがわからないもので,いつ治ったかわからないことが,実は完全に治った証拠のようなものだと思います.
それでもなぜ治ったのかを考えてみますと,自分の好きな道をがむしゃらにめざし,そのことで吃音のことなど考えていられないような絶体絶命の状態に立たされ(自分を結果的に追い込んだ),それを必死で解決していくうちに治ったのだと思います.その間には,失敗体験,成功体験がたくさんありましたが,失敗は現実の世界をみせてくれ,成功体験は自信をあたえてくれました.その間吃音は大きな問題ではありましたが,それ以外の大きな問題を解決するために吃音のことは自然に第2ランクまで落ちていたように思います.吃音とは治そうとばかりしている間は治らず,なおしたいと思いながらも意識せず,他のことに一生懸命打ち込んでいるうちに治るもののようです.
次の人生哲学みたいのものも大きく関係しているかもしれません.
- 自分の信ずる道,好きな道を進むこと
- 夢を持ってやってきたこと
- 「すべてのことは努力次第で何とかなる」,「なせばなる,なさぬは人のなさぬなりけり」ということを信条にして努力,努力でやってきたこと
- できないことがあっても卑屈にならず決してあきらめなかったこと
- 自分には自分の人生があり,他の人には他の人の人生がある.それは必ずしも一致しないのが普通の姿であるとおもっていたこと
- 人はみな同じではない.しかし人は皆平等であること.それゆえ,人には得意不得意の分野があり,自分を生かすためには自分の得意な分野を生かさざるを得ないこと
- 親や親族から完全に離れて一人きりになることで,すべてを自分自身でやらざるを得ない立場になったこと
結局,吃音の本質は言葉の問題ではなく心の問題であるような気がします.いかに自分を生き生きさせるか,生き生きさせるには,そのまえに越えなければならない苦闘のがあります.そして大きな志を持ちながらも,現実を一歩一歩あるきつづけ,成功体験を少しでも多くすることが大事なような気がします.
コメント:
吃音の治し方を考えると,”いかに人生を生きるか”みたいになってきますね.吃音と無関係によんでも十分ためになるようです.
- ”私的吃音克服論”(2000年2月20日)
この項は「ドモラーズ」掲示板に投稿されたものを「彼の生き方」さんの好意によってここに掲載させていただいています.
- 【吃音と非吃音】
まず大前提として、「吃音者と非吃音者の違いなんてものは本来、存在しないのだ!」という事実からスタートしましょう。
会話時の言葉の難発もしくは連発が、「どもり・吃音」といわれている現象なわけですが、普通の人が話しているのをよく聞いてみて下さい。彼らも言葉に詰まったり、連発したりすることはあります。また、彼らとて吃音緩和語=「えーと・まあ・あのう」を頻繁に用いています。では、彼らとわたしたち吃音者の違いはどこにあるのか? ここが重要なのですが、最終的には自分が、自分自身のことをどもりだと思っているか否かに行き着くのではないかと思うのです。
どういうことか。わたしを例にとってお話しましょう。わたしは吃音者、もしくは吃音克服者だと自分では思っています。でも、一般的にいわれている吃音者とは性格が少し異なり、やたら積極的なわけです。大学で「質問がある人」と尋ねられなどしたら、まっさきに挙手するタイプです。どもるか? どもりません。発表も自分から率先してやります。おそらく何百人もの聴衆を前にしても、平気で発表できるでしょう。それも非吃音者よりも遥かにうまくやれる自信があるし、実際、最近やった発表はそうだったと自負しています。電話も大丈夫。就職活動の電話では一度もどもりませんでした。先日、意を決して「自分はどもりで、そのことについて悩んでいる」ということを、友人・知人に話してみました。9割が、気づいていなかったと答えました。もちろん、その中には善意のウソをついてくれた人もいるかもしれませんが。そう、驚くことに、「どもり」という言葉を知らないという人までいました。そんなものなのです。とにかく、結果はそんなものでした。
無論、むかしからこうだったわけではありません。わたしはわたしなりに吃音を克服したわけです。ここで、克服の話はひとまず置いておいて、どもりというコンプレックスの本質を考えてみたいのです。吃音と非吃音の区別に疑問符がつけられた今、「わたし」にとってどもりとは何なのか? わたしは周囲から吃音者と思われてはいませんが、それでもやはり素直になれない部分があるのです。それは何か? そのことを考えることが、吃音克服に結びついていくと思うのです。
- 【コンプレックスとしての吃音】
「わたし」にとって吃音とは何か。列挙してみます。
@なにか新しいことを始めようとするとき、どもりから生じる不安感でなかなか踏み出せない。
Aなにか失敗をしたとき、どうしてもその原因をすべてどもりに押しつけてしまう。つまり、もしどもりでなかったら、自分は成功していただろうと考えるわけです。
B自分はどもりだから、なにをやってもダメだという無力感・諦観に襲われる。
@〜Bこそが、どもり・吃音の本質だとわたしは考えます。これは何も吃音に限定したことではなく、いわばすべてのコンプレックスに共通する性質なのです。どうでしょう。
心当たりはありませんか。そうは思いませんか。吃音とは発音障害であるだけではなしに、個人の生き方の問題だとわたしは思うのです。もっと言わせていただくと、発音障害などは、まさしくただの氷山の一角。問題にすべきものは、その下に潜む巨大なもの=個人の生き方ではないでしょうか。
しかし多くの吃音者はそこに目を向けようとしません。発音障害のせいで自分は何もできないのだ。そう視野を狭くするばかりで、あちこちの吃音矯正施設に足しげく通うのです。高いお金を払って通信教育や催眠術にのめりこむのです。結果、業者の腹は肥えるが、自分の吃音は一向に改善しない。幸運にも良くなったとしても、その業者から離れてしまうとまた悪くなる。
それでも吃音克服への意欲があるのならば、まだ良いのかもしれません。自分のどもりはもうどうにもならないと、殻に閉じこもる。どうせどもりだから友人も恋人もできまい。一生、どもりにつきまとわれるのだ。もう生きていくのは嫌だ。そんな風に考えるようになってしまったら、なんと悲惨なことか。
ここでこそ、原点に戻ってみたいのです。吃音の克服とはどういうことか? 誰が吃音の克服を決定するのか?
そうです。わたしたち自身なのです。他人から「あなたは吃音を克服しました」と卒業証書をもらうのではありません。さて、もう一歩、踏み出してください。あと一歩。どもりをなおすのは誰ですか? 自称・吃音克服の「善意の人」ですか? 吃音克服本の著者ですか? 宗教家ですか? 違います。あなたやわたしという一人ひとりなのです。
他の吃音克服者の命令に忠実に従っても、おそらくあなたのどもりはなおらないでしょう。なぜならあなたの人生は、わたしの人生がそうであるように、あなただけのものだからです。同じ「生き方」などあるはずがありません。
――わたしはそう思うのです。いくら吃音理論に詳しくなったところで、いくら吃音治療にお金をつぎこんだところで、いくら人格者になったところで、吃音は克服でないのではないだろうか、と。
- 【吃音克服と欲望】
権威主義に思われるかもしれませんが、わたしが興味を持っているユングの言葉を借りてきましょう。ご存知だと思いますが、ユングはフロイトと並ぶ偉大な深層心理学者です。彼はこう言っています。
「コンプレックスは広義において一種の劣等性を示す
――このことに対して私は、コンプレックスをもつことは必ずしも劣等性を意味するものでないとただちにつけ加えることによって、限定を加えなければならない。コンプレックスをもつことは、何か両立しがたい、同化されていない、葛藤をおこすものが存在していることを意味しているだけである
――多分、それは障害であろう。しかしそれは偉大な努力を刺激するものであり、そして多分新しい仕事を遂行する可能性の糸口である」
――可能性である。ユングは言います。吃音は可能性なのです。
わたしたちは吃音によって、人生に真正面から向き合うチャンスを与えられているのです。普通の人なら、あるいはだらだらと生きてしまうかもしれない人生に、より能動的に係わることができるのです。そうです。吃音とは生き方の問題なのです。吃音のせいで、やりたいことが制限されている。あなたは言うでしょう。わたしも言います。では、その「やりたいこと」は何なのですか? すぐに言えないのではないですか? 漠然と吃音が克服できたらば、すべてがバラ色になると思っているのではないですか?
一昨年の夏、わたしはインドに行きたくて仕方がなかった。しかし、どこか気乗りがしない部分がある。ほんと「なんとなく行きたくない」というぐらいの感じ。なぜか。そこを突き詰めて考えてみた。やはり吃音にたどり着きました。そういうわけで、インドを1ヶ月間一人で旅行したことは、「わたしにとっては」吃音克服の契機になったのです。たかがインドでというご意見もわかります。でも、わたしは自分の「やりたいこと」を、吃音という制限・障壁を越えてやったつもりです。大袈裟に聞こえるでしょうが、そういう「生き方」を実践したのです。余談ですが、インドで同い年の香港人の女のコと友達になって、一年後、つまり去年の夏、香港にも行きました。ああ、人生って思ってた以上にクソオモシロイなあ。そう実感しました。
訊きます! 答えてください! あなたの「やりたいこと」は何ですか? もしどもりではなかったら、何をやりたいのですか? あなたの欲望は何ですか? それが吃音克服のカギになるとわたしは思います。思いきって、それをやってみてください。欲望に忠実に。「やりたいこと」がない。欲望がない。漠然とはあるが具体的ではない。そういう方はぜひご自分の欲望について考えてほしいのです。「自分はどもりだから……」ではなく。そして、つまるところ、それが吃音を克服したということだとわたしは思います。流暢に話せるようになることが吃音の克服ではありません。アナウンサーになりたいわけではないでしょう? 吃音に邪魔されずに、「やりたいこと」をできるのが吃音を克服した真の姿です!
わたしの欲望。このクソオモシロイ世界を味わいつくしたいのです。未知なるものを征服したい。色々なもの
を見て・聴いて・感じたい。あらゆることを経験したい。もちろん女にモテたい・有名になりたい・金持ちにな
りたい、という三大欲望は強烈にあります。わたしもどもりのせいで、いじめられたことがあります。今に見て
いろよ、という反骨心があるのです。実際、わたしは今でも、同年齢の男と比べたらば桁外れの経験量・読書
量・行動量があります。ほんと色んなことをやってきました。常にぎらぎらしています。
そうなのです。そのエネルギーの源がどこかと考えると、やはり、どうしようもなく吃音なのです。吃音がわ
たしの原動力になっています。どもりは障害・劣等感ではありますが、同時に豊かなエネルギーの供給源なので
す。そして、これからのわたしの生き方は、この吃音とやらを克服していく過程にしたいのです。欲望とその実
現の連鎖にしていきたいのです。そう考えると、真底、自分が吃音を克服したと宣言できるのは死ぬ間際になる
のかもしれませんが……。
あなたとわたし、どっちが楽しい人生を送ることができるか。競争しましょう!
コメント:
吃音によって人生を考えるきっかけをえる.吃音とは関係なく,ともかくやりたいことに第一歩を踏み出す,これが大切なのですね.がんがん主張し,がんがん実行する.
それにしても,「吃音によって我々は何を見たくない」と深層心理で思っているのでしょうね.自分の恥ずかしがりやですかね? 自分が弱い人間だということですかね? それともプライドに傷つくことですかね????
- けいさんの克服談(掲示板から転記)
初めて投稿します。
32歳主婦、3歳の娘がいます。
私も皆さんと同じように吃音がひどくて、つらい思いをしてきました。
小・中・高とかなりひどい吃音でした。
・・・が、今は90%吃音が治っています。
どうしてひどかったどもりが良くなったのか、また吃音になった原因を知りた
くて、検索していたら偶然にこのHPを見つけました。
私はとても感受性が強いです。両親にも言われてますし、私自信そう思いま
す。
このHPに書いてある原因の1つでもある幼児の性格が、私の性格にドンピシ
ャリで驚きました。
そして、吃音を軽くする方法・治す方法を読み、私そのものだわ〜と、再度驚
き
ました。普段はペラペラと普通に話しができますが、今でも時々はつまったり
もしています。
でも、それを全く気にしていません。
恥ずかしいとも思いません。
23歳過ぎて吃音を意識しなくなってから、メキメキと良くなっていったよう
です。
このHPに書かれていることを、私は無意識に実行していたと知りました。
吃音を治す練習や努力、病院通いなど、一切していません。
本当に気の持ちようで治るんです。
私はあえて、仕事に接客業を選びました。たくさんの人と話をするようになり
ました。今では接客業が大好きです。
アナウンサーのOさん(男性で前はフジテレビど〜なってるのに出ていた)
も、
昔ひどい吃音だったそうで、彼もあえてアナウンサーを仕事に選んだそうで
す。
私は自分が吃音だということを、乗り越えたのだと思います。
相手に自分の名前がうまく言えなかったとしても、不思議なほどに気にしてい
ない私がいます。そのように失敗を意識せずに生活していると、その次には普
通に言えるようになってくるんです。
前向きで、明るくて、元気な私が吃音を治してくれたのかな〜と思います。
みなさん、お互いに前向きにがんばりましょうね。
- 私の学生時代!
こんにちは、けいです。
33歳、3歳半の娘がいます。
ひどかった吃音が、現在はほとんど完治しています。
学生の方のご意見を読ませていただきました。
授業で音読があたると前もってわかっている時、私は避けることを何度もして
きました。これが私にとっては一番の策でした。どもりは、練習したからとい
ってうまく読めるようになるものではなく、私の場合1人で読む時はいつでも
100%完璧に読めていました。でも、本番では100%どもりは出ました。
練習しても効果なし。だからといって開き直って音読すると、授業終了後の友
人の態度がよそよそしくなります。
私は吃音が原因でいじめにあったということは幸いにしてありませんでした
が、まわりの空気がおかしくなるのをよく感じました。
「避けること=逃げる」とは思いません。避けて自分を守っていなかったら、
私は学校が大嫌いになって、行くことをやめていたと思います。
授業の音読が苦痛なだけで、学校世界すべてを失うなんてばからしいし、もっ
たいないです。避けられるなら避けても構わないのでは?
苦手なことに立ち向かっていくことが美徳とされる傾向がありますが、吃音者
に関してはそうとも言えない気がします。
言葉につまっても全く気にしないような心の状態であるなら話は別です。ども
って失敗しても、その後笑って流せるのなら避ける必要はないですよね。
ひどく落ち込んで、学校どころか自分を否定したり死を考えるほど追い詰めら
れてしまう位なら、仮病使ってでも避けるべきではないのかなあ。
たかが授業の音読です。避けたってどうってことないですよ〜。
私は避けれたときは「よかったあ〜♪♪♪ばんざ〜い」と明るかったです。避
けてる自分を責めたり卑下したりすることってなかったです。結構いい加減に
考えていたのかもしれませんね。
でも、誤解のないように言っておくと、私はこれでも他の面では努力家でした
〜。
みなさん、明るく前向きに考えてくださいね。
避けまくっていた私でも、吃音はよくなれてるんです。本当、大したことない
です。
みんな、がんばって・・・
- 吃音克服までの道のり(1)
どうして良くなったのかなと考えてみると、たぶん自信がついたからです。
「私はこんなだから」「私にはできないんだから」という気持ちがなくなって
から、メキメキとよくなった気がします。
この自信というのは、どもらずに話せたとかそういうことではないんです。
吃音とは関係のないところで得た、自信です。
高3の時短大の推薦が決まりました。見事落ちました。
吃音のせいだけではないのだろうけど面接は・・・皆さんならおわかりですね
こんなことがあって、私の希望で卒業後2年間は自由にさせてもらい,初めて
アルバイトをしました。
レストランのウエイトレスです。
私の吃音症状は、音読や決まった事を言う(話す)時に強く出ます。
普段話す時もつまったりしてたけれど、なんとかごまかしできたので話をする
ことはそんなに恐怖ではなく、むしろ音読に比べたら天国のようだわあと感じ
た位です。
例えばスピーチは自分の考えを言えばいいので比較的平気でした。
何を話すのか皆は知らないから、途中でつまっても違う言葉に置き換えればO
Kという逃げ道があるので心の不安が小さくて済みました。
授業時の出欠席の返事は前もって決められた事なので苦手でした。
面接も前もって決まったことを言います。出身高や名前、志望動機など相手が
ある程度分かっているであろう事柄をハキハキと話さなければいけないとい
う、その重圧であがってどもってしまう。
レストランでも、人が入って来たら「いらしゃいませ〜」と言う決まりがあり
ます。
できませんでした〜
でもスタッフの方々に恵まれ、無理矢理言わされることもなく、さらっと見過
ごしてくれました。
数ヶ月すると、すっかり打ち解けて気持ちがめちゃくちゃリラックスできる状
態になり、慣れも手伝って、緊張することなく明るくあいさつできるように。
学生時から自分の吃音をカバーする為に、私は笑顔を含めて雰囲気作りに重点
を置いていました。これが身についていたせいか、挨拶時の笑顔、応対時の感
じがいいと言ってくれるお客様が多く、よく誉めていただきました。
このバイトで少し自信をつけました。
このバイトの後2つの職場を経験し、合計3つの職場体験が私の気持ちに変化
をつけたようです。
*なんだか体験談を勝手に話したりして、押し付けがましくないかなと少し心
配です
- 吃音克服までの道のり(2)
こんにちは、けいです。
私の体験を簡単に言ってしまうと、吃音を克服できたのは、自分の気の持ちよ
うプラス、まわりにいる方の影響がすごく大きかったなあということです。
みくさんの言うように、まわりの環境・雰囲気がリラックスできるような場所
であれば、吃音がでなかったり軽く押さえられるようになって、それが続くこ
とが気持ちの上でプラスになってどんどん自信がついていくのだと思います。
自分の前向きな性格のおかげだけではなくて、まわりの方々のおかげで完治す
るきっかけが掴めたのだと思います。
バイトを辞めた後、就職しました。
プロダンサー仕様のスタジオ運営をしている会社なので、半日はスタジオでの
受付、あと半日は事務所での仕事という形でした。
ウエイトレスで自信を得ていた私は、スタジオでの仕事はなんなくこなしてい
ましたが、事務所での仕事がネックとなりました。
15人程の静かな雰囲気の中での電話取りは、恐怖としかいいようがありませ
ん。
冗談を言うようなスタッフがいるわけでもなく、堅い雰囲気の職場でした。
みんなが聞いていると思うと、電話は心臓ばくばく状態でした。
(スタジオでの電話取りはできるんです。)
私の電話苦手に皆が気づき出した頃、先輩にどもってしまうことを打ち明けま
した。
先輩は私の為を思って、かかってきた電話を一旦保留にして私にまわし、それ
を担当者に内線で取り次ぐという練習をさせました。
みんなのいる前で、小学生に練習させるかのように、わざわざ手間かけて内線
で取り次ぐことだけをするわけです。
こんなことしてる私を見て皆はどう思っているだろう、情けない、恥ずかし
い。
練習どころか屈辱以外のなにものでもなかった。
私の気持ちはリラックスするどころかどんどん悪い状態に進んでいき、内線を
取れば取る程声は出なくなっていきました。
完全な自信喪失でした。
「どうして私は吃音なんだろう・・・」というおかしなことを考える自分が出
てきて、自分がだめになっちゃうと思いました。
どもりを気にするような日々が続いたある日「このままだと、私の吃音は悪化
するばかりだ」「こんな状態で本来の自分が出せるわけない」と居直り、悩ん
だ末会社を辞めました。
これが21歳の時です。
- 私の呼吸法
言いにくい言葉でのあいさつって、本当つらいです。
私は電話に出る時「はい」という言葉によくつまりました。
受付の仕事で電話を取る時に「はい、○○(会社名)です」と出なければいけなくて、
苦労してました。
ある時考えついたのですが、受話器を取って耳にあてる瞬間に大きく息を吸い込み、受
話器を耳にあてたと同時に息を吐くタイミングと一緒に「はい」と言うんです。
はいと言うというより、息を吐く時についでにはいと言っている感じにすると、結構
上手につまらないで「はい」と言えるようになりました。
これで何度か成功して、このやり方に慣れたらしく、割とすんなり言えるようになりま
した。
でもその後、しばらくして会社から「はい」の部分を「お電話ありがとうございます」
に変えるように指示が入りました。
せっかく「はい」が言えるようになったのに〜〜〜と、あせりました。
しかも苦手な「お」で始まるんです。
トライしてみたけれど声が出なかったので、そのあとは言う事聞かないで、前のまま
「はい」で受け取る事にしました。
会社の方針に従わなかったのでそういう意味では悪い社員でしたが、言い方が違っても
お客様への印象がよければそれでいいんだと、割り切って開き直り、自分の言い易い範
囲の言葉でがんばりました。
お客様からは名指しで頼まれる仕事があったりもしていたので、指示通りに言わないこ
とで上司から注意されることはありませんでした。
「ありがとうございます」が出てこないようだったら、その言葉にとらわれずにその時
に言えそうな「またいらしてくださいね」「またのお越しをお待ちしています」「それ
ではまた・・・」などなど、なんでもいいので心を込めて笑顔で伝えれば、それでOK
なのではないかなあ。
絶対「あいさつを言わなくちゃ」と考えてしまうと気持ちが硬くなっちゃいます。
言えなかったことを反省したり落ち込んだりする必要ないですよ〜。
私が買い物する時は、お店の方の行動・笑顔など全てを見てがんばって接してくれてい
るなあと感じるほうです。
さわやかにあいさつされることはやっぱりうれしいものだけど、それだけじゃないか
ら。
あまり決まりごとにこだわらずに・・・という気持ちを持ったら私は割と気持ちがリラ
ックスできました。
お仕事、がんばってください。
>実は前回の投稿の中にあった接客基本用語なるものは、朝礼で150人くらいの社員の
前で、唱和しなければならないのです。
私、リョウさんの悩んでいる事を間違えて解釈してました。
ごめんね。
> 日常の対応は臨機応変にできるのですが、決められた言葉を大勢の前で言わなければ
ならず、不得手な言葉プラス緊張する場面なので、たまりません・・・。
私の苦手分野と似ています。
18日の投稿にも書きましたが、私も日常面の対話はそれなりにこなせ、決められた事
を言うのは苦手です。
強度あがり症の為、大勢を前にするのはとても恐怖です。
う〜ん、どんな方法がいいかなあ・・・
私が今までやってきたことで、声が出しやすい方法が1つあります。
電話の「はい」と同じ、呼吸法のことです。
私の場合、口先だけで言葉を言おうとすると、必ず出ません。
でもね、大きく息を吸ってその息を吐く時って割とすんなり出ます。
息を吐きながら最初の「あ」をついでのように言います。
はっきり言おうとしちゃだめです。
最初はあやふやな「あ」でいいんです。
「あ」がよく聞こえなくてもいいです。
言葉の途中の「・・・がとうございました」を「あ」よりも気持ちはっきりと言えれ
ば、ごまかせます。
慣れてくると、ちゃんと「あ」が出るようになってきます。
非吃音者でもこんな感じの言い方をする方はいらっしゃるから、相手から聞いてても
そんなに違和感ないと思います。
それでも声が出そうになかったら、「あ」と同時にちょこっとおじぎをする感じで頭を
動かします。
朝礼のみんなの前でのことなので、本当に気持ち程度に動かします。
身体をまっすぐにした状態だと、言葉を出そうということだけに意識がいってしまうか
ら、身体をちょこっと動かすことで少しリラックスさせる効果があります。
身体の反動を伴うと、神経が言葉以外のことにいくので声が出しやすいようです。
言葉を置き換えて話すのと同じ、ごまかしの1つです。
この呼吸法は、随分いろんな面で役立ってきました。
最初の頃は息を吐いたり吸ったりする「は〜」という音が自分の耳で聞こえる程にやっ
ていたけれど、今はごく自然にできるから音は聞こえません。
それでも、頭の中ではちゃんと意識してこの呼吸法を使っています。
私の場合はこれで声が出せるようになったけれど、どうかな〜。
こんなことやってきたよ〜というお話です。
- 100%完治じゃなくても構わないです
心身共につらい状態になってしまって仕事を辞めました。
それでも就職を諦めたことはないです。
自分にこなせる仕事があることを知っていたから。
今度は自信の持てた接客のみの仕事に的を絞り、受付の仕事を探しました。
新しい受付の職場は、直接お客様と話ができる楽しさで伸び伸びと仕事ができました。
職場の雰囲気も明るくスタッフにも恵まれました。
気持ちに必要以上の緊張がなかったことも私にとって良かったようです。
電話は、慣れと自分で考えた呼吸法で何とか対応できるようになりました。
このHPを読んでみたら「腹式呼吸の練習」というのが出てきました。
あれ〜、私の呼吸法も考えてみると腹式呼吸になってる〜と気が付きました。
このHPに書かれていることは、本当に自分に当てはまることが多いです。
でも何かを読んで実行したわけではありません。
吃音を治す努力はしていないけれど今考えると、毎日たくさんの人と一日中話をしてい
たことが練習になっていたのかもしれないです。
前の職場でのこともあり、あえて自分からどもりだと伝えることは避けました。
だからその職場では普通の人と全く同じ扱いです。
そんな中、またまた1つ問題が出てきました。
館内放送です。
何週間かに一日、館内放送の当番に当たります。
今まで電話応対をはじめとして色々クリアしてきましたが、これだけは自信がありませ
んでした。
でも非吃音者のみんなも緊張する仕事です。
私だけ逃げるわけにもいかなくて、どきどきしなら当日を迎えました。
最初の3回くらいまでひどい放送だったけれど、「3回もよくトライしたなあ」と、ふ
っと他人事のように思っている自分がいました。
ほかの同僚の放送を館内の人が軽く聞き流していることに気づき、みんなもこんな感じ
なのかな、この程度のものなのかなと思えるようになりました。
だからと言って極端に上手く言えるようになったわけではないけど、でも気持ちの上で
それが気にならなくなったんです。
放送を流した後も、みんなの様子はいつもと変らない。
私の仕事を認めてもらえている。
職場が楽しい。
慕ってくれる後輩ができた。
この心身共にいい状態でいられる環境が大きなプラスになったのかな〜と思います。
それからメキメキと本当良くなりました。
気の持ちようで吃音は治ると、実感しています。
今は90%くらいのい完治だけど、100%じゃなくても構わないです。
今の自分が大好きだから・・・
- 呼吸法にこだわることはないですよ
少しでもお役に立てればと思い、こんなことすると言葉が出やすかったよ〜という経験
を書きました。
皆さんからのお返事、すごくうれしかったです。
でも私は先生でも言葉の指導者でもないから、このやり方をみなさんにお教えしてもよ
かったのかなと、少し困惑しています。
呼吸法にこだわる必要はないんですよ〜。
人ってみんな、話す時息を吸い込みますよね。
アナウンサーをよく見ていると、やっぱり大きく息を吸い込んでいることがあります。
誰もが使っていることなのだろうけど、きっと吃音者(私)はこれがうまくできていな
いのかな〜と思いました。
吃音は、言葉につまると息が止まるのかと思っていましたが、もしかしたら息がとまる
から声が出なくなっちゃうのかな〜と。
息が止まらないように、吐く動作に乗せて声を出すと、流れるように声が出ることに気
付いて始めたことなんです。
「呼吸法をマスターしなくちゃ」と思うことは「どもらずに言わなくちゃ」と思うこと
と同じです。
変に意識しすぎると効果ありません。
ほかの方の投稿にも、言いにくい言葉を探さない、全部言いやすいと思うこと、などと
ありました。
私が良くなったのも、気にしなくなってからです。
吃音は気にしないことが一番です。(難しいことだけど・・・)
呼吸法をマスターすれば言葉が言えるようになるわけではないです。
(声が出しやすいのは事実だけれど)
だから、あまり呼吸法だけにとらわれないでくださいね。
ぞうさんの投稿に・・・
>10秒くらいは沈黙が続いたと思います.こういう場合は慌てて話し出さなくても
いいと思います.息が止まっていたので,ゆっくり吐き出し改めて息を吸い直し
ました.
・・・とありましたが、こういう意味での呼吸とも考えてくださいね。
呼吸法だなんていい方がまずかったですよね〜
ごめんなさい。
リラックス効果と息を止めないというリズムに乗せることが目的だから、どの言葉
にも使えます。
- フミオ2001 参考にして下さい(掲示板から転記)
いよいよ21世紀ですね。 吃音のほうがほぼ完治の方向に向かって
いるので、自分の体験談などをいくつか紹介したいと思います。
まず大切な事は、しゃべることを好きになること。好きな事は伸びま
す。次になりたい自分を明確にすること。しゃべるという行為を自分
に必要なものであると肯定的に受け入れるためです。そして、結果を
悔やんだり、恐れない事。どもるのは、結果です。原因ではありませ
ん。結果を気にしても時間の無駄ですし、問題の解決にはなりません
。後、人を信頼し、祝福できる人間になること。人間として大事なこ
とですね。
技術面でいうと、呼吸法が大事。これで、しゃべり始め
のあ、あ、あああああー!もある程度対処できます。いくらか息をぬ
いてからしゃべる癖をつけたほうがいいですよ。自然な流れの中で、
しゃべる感じ。あせらず、呼気の後にしゃべる。みんなだいたい、息
を吸ってーハイしゃべるー、ハイ止まったって感じじゃない?ちょっ
とわかりにくいね?いくらでも、多くの人がよくなることを祈ってま
す。
2332. 自転車 フミオ 2002/04/14 (日) 19:47
ここ3年くらいでゆっくり吃音が改善してきたわけだけど、最近は
いいペースで改善しています。最近はどもらないだけでなく、流暢に
前よりもずっと落ち着いた声で話せます。
自転車乗ってると自分の変化がわかるんですよね。以前より確実
に全身の筋が場面に合わせて協調して働いている感覚がわかるん
ですね。
大切なことは、人生楽しむことですね。私は、吃音改善のヒントを
真面目に勉強してきたこと以外にも、ビリヤード、カラオケ、ギャンブ
ル、友人関係などからも得ました。
私がいいと思う心構え3つ紹介します。
1.Do it. まず行え。
2.Be an opportunist. 楽観主義者であれ。
3.Have fun. 楽しめ。
吃音克服経験談と吃音に関する主張 −その2−につづく